スラムの片隅から世界を、、【YUMEKAKE/JOHN's diary】

国際協力活動のなかでのマジメな話からゆる~い話まで/海外から日本から

「片頭痛の翌日に近所の桜並木を歩きふと思う」~本当は毎度の片頭痛をこらえることじゃなくて根本的に治すことが必要なのだと思う。貧困と自立支援の問題も同じことなのだろう、、   (#片頭痛持ち #24時間耳鳴り #貧困という病を治療するにはあまりに無力 #今を生き延びることがせいいっぱい #国際ソーシャルワーカーの役割 #埼玉県久喜市吉羽青毛堀の桜並木 #幸手権現堂 #明日が必ず来ることは当たり前じゃない #災害から学ぶ今を大切にするということ #国際協力NGOの草の根の支援 #SDGs)

定期的に片頭痛になる。

もともと痛みには強い方だし、肉体的にはおそらくMなので(;'∀')、この片頭痛が相対的にそれくらい酷いのかはわからないけど、まあ自分的には我慢ができる。

ちなみに耳鳴りも持ってる。
24時間、耳がギンギン鳴ってる状態が当たり前なのだが、ずっとそうなので気にしても仕方ない。というか、他の人にとっては、「無音」という状態があることが、イメージできない😅

これもまた、自分がどれくらい酷いのかはわからない。耳鳴りで体調が悪くなる人もいるくらいなんだから、自分はそこまで深刻なやつじゃないのか、単に鈍感だったり、慣れただけなのかもよくわからない。

あ。そうそう、コロナワクチンの後は、この片頭痛が、マジで吐くくらい酷くなって(片頭痛じゃなくてただの頭痛か😳)、いつもの定期的な片頭痛がこれだったら、平静に生きてくのは辛いな、と思った。

本当に症状が重い人とかはそうなのだろうか。こんなんが頻繁にあるなら、それなら自分も病院に行くと思う。

で、月に何度かやってくる片頭痛

たいてい一晩寝ると収まる。

朝起きて、頭から余計な何かがいなくなった感じになる。

よくわからないけど、ふだんよりも調子がいい(気がする)。

これは、体の仕組み的なものなのか、それとも、単に、片頭痛の反動ですっきりした気になってるのかはわからない。

とにかく片頭痛明けの朝は、いつもより心も体もシャッとして、仕事もはかどる。

しかし、もちろん、片頭痛そのものが根治したわけではない。

体に居座る片頭痛という病いが治ったわけではないのだ。

なーんてことを、片頭痛明けの冴えた頭でボケ~と考えてて、ふと思った。

自分が国際協力NGOで支援してるフィリピンのスラムの状況も、もしかしたら片頭痛に似てるのかなって。

まるで片頭痛のように断続的にやってくる、ウィルスやら災害やら就学やら病気やらの問題、目の前の障害に対処して、なんとか乗り越えた気になってても、根本的な「貧困」という「病」は何ら解消されてない。

でも、その障害から生き延びた時、なんとなく希望が見えた気になって、晴れ晴れとした気分になったりする。

でも、

本当は何も変わっていない。

要するにこういうことだ。新型コロナウィルスによる世界最長のロックダウンが終わり、スラムの人々は飢えと感染の恐怖に襲われる日々から、やっと解放された、、と一見思われるが、もともと貧困状態だったことに加え、ウィルスで大変な状況になったというだけで、ロックダウンが終わったからといって、貧困には変わりはなく、生活が良くなるというわけじゃない。


そして、根本的には治癒していない貧困という病が、いつしかまた新たな障害を生み出し、結局は生き延びていくのがせいいっぱい。

自分はNGOの活動として、本当はその根本的な原因を取り除く働きかけをすべきだし、いつもそれを意識しているのだが、次から次へとやってくる片頭痛のような障害に対処するのに追われてばかりのような気がする。

ひとつひとつの症状に対し、対症療法として薬や処方したり、リハビリをしたりはしているのが、抜本的な治癒となる「手術」に取り組めているとは言い難い。

次から次へと襲い掛かってくる困難に対処することに追われ、その根本的な原因となる貧困という病に対し、それはあまりにも大病で、なんとかしようと立ち向かうには自分は無力過ぎる。

いつもそこにジレンマを感じてしまう。

もちろんあきらめはしないし、やれることをやっていく。

それだけどいえばそれだけ、だとしても。

とにかく目の前の困難に負けないように、スラムの人々と協力しながら、支援活動を続け、なんとか皆が生き延びていく中で、少しづつでも何かが変わり、自立への道が見えていけば、と信じようとしてる。

自分は今、国際ソーシャルワーカーとしてNGOの現地の支援に関わっている。

例えば、病院では、病気を治すのは医者だが、病気になってしまった弱者に対し社会的に救う手段を示唆するのがソーシャルワーカーなのだろう。

貧困という病に対して、ソーシャルワーカーとしての役割を果たそうと尽力している。

目の前のひとつひとつの障害に対し、草の根の支援を続け、少しずつでもそれがつながり、明日への希望となる。そして希望は力となる。その力はいつか世界を変える。

そう信じてる。

ところで、写真は近所の桜。

本文の内容とぜんぜん関係なくてごめんなさい😅

自宅(埼玉県久喜市)から徒歩一分のお堀の桜並木が毎年とてもきれい。

でも、不思議だよね。

例えば、隣の幸手市には全国的に有名な桜の名所「権現堂」があるんだけど、今年は行けなかったから、来年はきっと行こう、なんて何気に思ってたりする、、、

でも、、

その来年が、当たり前に来るかどうかなんて本当は誰にもわからない。

東日本大震災で、コロナで、ヨランダやオデット(フィリピンを襲ったスーパータイフーン)で、めっちゃ身近なたくさんの死を目の当たりして、命の儚さをじゅうぶん思い知らされてるはずなのに、結局なんということもなく、「明日はまたやってくる」なんて思っちゃってる。

いや、希望を持つことは大切なことだけど、でも、来年や明日が当たり前じゃないことは、やっぱり意識して、今この時を大切にしなきゃな、って思う。

今をせいいっぱい生き延びていくことが、きっと未来へとつながる。

そう信じながら、、、

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