YUMEKAKE/JOHN's diary

国際協力活動のなかでのマジメな話からゆる~い話まで/海外から日本から

「内戦の傷跡 ~今そこにある現実から目を背けてはならない」 ...イスラム過激派との内戦により戒厳令下にあるフィリピン・ミンダナオ島・マラウィにて、、

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そこには何もなかった。
いや、確かにあった。
人々が生きていた証が。
瓦礫と化した街が。
ただそれだけがあった。
「Ground Zero」
そこはそう呼ばれている。

フィリピン・ミンダナオ島、マラウィ。
そこでは、イスラム過激派と政府軍が内戦を繰り広げ、
現在はとりあえず落ち着いてはいるが、未だに戒厳令下に置かれている。
この動画は、昨年の12月に、内戦の激戦地の跡を訪れた時のものだ。

戒厳令下にあるといっても、マラウイの市街地では、だんたんと人々の生活はもとに戻りつつあり、多くのムスリムが暮らすこの地域では、ヒジャブをまとい通りを歩く女性の姿が多く見られるようになった。
しかし、市街地を抜け、川を渡った向こうは、内戦が激しく行われた地域で、地雷の不発弾の危険性もあり、一般人は、未だそこへの橋を渡ることは許されていなかった。
いや、ジャーナリストやNGOでさえ、行政の許可と、軍の護衛が必要で、それでも、行けるのはその橋の手前までだと、聞いていた。
ただ、橋の手前の地域でさえ、戦闘により多くの家屋は破壊され、また、残った建物にも生々しく多数の銃痕が刻まれていた。
その川の向こう、内戦の激戦地は、グラウンドゼロと呼ばれていた。

自分らのNGOでは、マラウイの内戦からの避難民の支援活動をしている。
主にマラウイの隣のイリガンにおいて難民キャンプで支援を行っている。

とはいえ、避難所のあるこのイリガンでさえ、外務省の定める危険度レベル3、渡航中止勧告地域である。

そして、一度、やはりマラウイの現状を見ておきたいと思い、避難所のテントで暮らす、難民キャンプのリーダー的存在のおばちゃんに頼んで、連れて行ってもらった。
もちろん反対された。
そもそも軍の許可がいる。また、外国人は危険だ。
マラウイの市街地は軍が監視しているのでまだしも、途中の山道には、イスラム過激派の残党がゲリラ化して潜み、今現在も度々テロ行為を行っている。
外国人が行ったら誘拐される。
と。

もちろんそれはわかっていた。
だから、とりあえず行けるところまで行こうと。
危険だったらすぐに引き返すから、と。

そして、なんとか危険を請け負ってくれるドライバーを探して、NGOの現地スタッフ3人と、おばちゃんたち避難民4人と、自分で出掛けた。
イリガンの市街地を抜け、マラウイへと峠を越えていく。
たったひとりの外国人の自分は、とにかく車の中でちっさくなってろと何度も言われる。

そんなこんなで緊張感に包まれつつも、いくつかの軍の検問もあったが、とりあえず何事もなく、車は峠を越え、マラウィへと近付く。
故郷に近付いていくおばちゃんたちはなんか嬉しそうだ。
同時に、今は帰ることができない失われた故郷を哀しみもしながら。

そしてマラウィに到着。
軍の検問を受け、町なかへ。
町は、キリスト教国であるフィリピンの他の地域とは異なり、イスラム教の人が多く暮らし、アラビア語の看板があり、ムスリム一色な感じだ。
一見平和そうに見える。

が、、、
しばらく走ると、
銃弾だらけの建造物が現われてくる。
川の向こうに見える地域は壊滅状態だ。
そう、この川の向こうが戦闘の中心地域、
通称 Ground Zero だ。

「見てごらん、、あれがグラウンドゼロよ。もうぜんぶ破壊されて、何もないわ。」
と、おばちゃんがつぶやく。
「ここが、わたしの、ふるさとよ」

そのまま車を進めると、その川にかかる橋に辿り着く。
「この辺までだね」
と、ドライバーやおばちゃんたちが顔を見合わせる。
いちおう橋の手前の検問所で聞いてみる。
「彼は日本人なんだけど、NGOの活動で来てるのよ」
そう告げる。

そしたら、、、
検問の軍人がしばらく考えてから、、、

「Go」

と言う。

え?
自分もそうだけど、
それ以上に、現地人が驚いてる。
おばちゃんたちも興奮してる。
「ここへ入るの、私も初めてよ!」
「ここがグラウンドゼロよ!」
と、車の中はちょっとした騒ぎに。

とはいえ、
やはり自由にしていいわけではなく、
車から降りることはできないし、
写真撮影も、注意されたりした。

そして、、、

そこには、
何もなかった。
いや、確かにあった。
人々が生きていた証が。
瓦礫と化した街が。
ただそれだけがあった。
「Ground Zero」
そこはそう呼ばれている。
もちろん人は誰も住んでいない。
というか歩いてる者は誰もいない。
そこに存在するのは戦争で破壊された町と、
ときおりある検問所の軍人だけだ。

この光景に、みんなショックを受けている。
もちろん自分もだ。
これが「戦争」だ。
現実にある光景とは思えない、
だけど、これがまぎれもない現実なのだ。

そしてグラウンドゼロを後にする。
しばらくは道の両側に破壊された町並みが続く。
だんだんと人々が現われ、
生活が感じられるようになってくる。
ヒジャブを被ったムスリムの人々が通りを行き交う。

自分は日本人だ。
宗教観もよくわからない、ふつうのろくでもない甘えた環境の日本で生きてるやつだ。
車にはムスリムのおばちゃんたちとカトリックの現地スタッフ。
それでも、そこには信頼関係があり、時に冗談も交わしながら、助け合いながら、そして今、危険な地域へと共に足を踏み入れた。
この内戦は、世界的なテロリズムの流れやISの影響はあるが、もともとはキリスト教イスラム教の宗教対立だ。
その現状に対して、自分はあまりにも無力だ。
でも、こうしてまた、ひとつの厳しい現実を目の当たりにし、体感し、感じ、考え、思いをわかちあい、何かを次へつなげていくことはできるはずだ。
またひとつ、たとえそれは小さくても、確かな一歩を踏み出せた。

グラウンドゼロ、、
しょうじき、どうしてその内側に入れたのか、未だによくわからない。
NGOという肩書も影響があったのもしれないが、
今まで、現地の人々も、各国の民間NGOも、ジャーナリストも、危険が大きくグラウンドゼロに入ることは、容易ではなかった。
こうして戦地に足を踏み入れ、視察できたことは、貴重な経験だったのだろう。
事実、自分が連れてきた現地スタッフは、皆、この、目の当たりにした厳しい現実に打ちひしがれ、深く考えこみ、ものすごいものを見てしまった、という感じだった。

でも、自分は少し違う。
こうして戦地に足を踏み入れた。
貴重な経験をした。
それだけでも今は凄いことなのだろう。
必要なことなのだろう。

でも、ここからだ。
また、あらためて、
ここから、なんだ。
目の前に広がる廃墟から、
その現実から、
そこに宿る人々の思いから、
次の一歩をまた、試行錯誤していかなければならない。

しょうじき、この町の復興には、まだ途方もない年月がかかるだろう。
避難所の人々が故郷に帰れる日がいつ来るのかまったく想像もつかない。
でも、きっとその日まで、一緒に協力し、支援を続けながら、
いつか一緒に、笑顔でまたこの地を訪れたい。
この足で、この地をしっかりと踏みしめたい。
冗談を交わしながら、おちゃらけて歩きたい。
子どもたちと一緒に走り回りたい。
そんな日がくるまで、まだまだ、
うん、
まだ、これから、
ここから、だ。

なぜかはよくわからないが、きっと何らかのタイミングがあって、手続きもせずにいきなり行ったのにグラウンドゼロに入れた自分らは、きっとラッキーだったのだろう。
だが、
今回のことで、
あらためて実感したことがある。
「勇気を持って動かなきゃ、幸運はつかめない」
ということだ。
いや、待っていてもやってくる幸運に越したことはないけど、
あきらめないで行動することによって、訪れるラッキーもある。

現実を受け入れることと、諦めることは、似ているようでちょい違う。
そんな気がする。

そう、この「ラッキー」は、自分たちが、トライすることによって作ったものなんだ。
それは、今まで、危険の中、この地で支援活動を続けてきて、築いてきた現地の人々との信頼関係が生んだもの、、、それはラッキーではあるが、皆で積み重ね、作り上げた結果でもある。
そう思った。

翌日、周辺の避難所やキャンプでチャリティーイベントを行った。
子どもたちが待っていた。
みんなで楽しくゲームをしたり、プレゼントや支援物資を配ったりした。
不自由で困難な生活のなかでも、
いつものように、そこには笑顔があふれていた。

いつか、
あの故郷に、
みんな一緒に、笑顔で帰れる日が来るといいね。

いつか、きっと、、、

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JOHNです。よろしくお願いします。
海外のことや日本のこと、世界の現実、経済や政治、ポエムまで、いろいろ書いてます😅
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自分は、国際協力NGO「HOPE~ハロハロオアシス」の代表を務めています。(詳しくは下記「自己紹介・NGO連絡先」リンクをご参照お願い致します。)
あ。「YUMEKAKE」というのは、NGOの活動のプロジェクト名(YUMEKAKE PROJECT)です。世界の子どもたちの、笑顔と希望と夢の架け橋になりたい、という意味です。

このブログでは、国際協力活動を通しての視点で、海外また国内の、様々な問題や出来事、スラムや難民キャンプの人々の生活、NGOの活動の様子等を、時に真面目に、深く、時にゆるく、書いていきたいと思います。 そして少しでも、皆さまに、世界の様々な現実を知ってもらえるきっかけを届けたいと思っています。

今後ともよろしくお願い致します。

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