YUMEKAKE/JOHN's diary

国際協力活動のなかでのマジメな話からゆる~い話まで/海外から日本から

「ずっとそばにいるよ、、、」 ~飢えに苦しむフィリピン・セブ島のスラムでの支援活動より、、

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今日は、山岳スラムの、このあいだとはちょっと違う、隣の部落での炊き出しです。
隣といっても、峠をちょっと越えます。
NGOでは、週に1、2回、このような炊き出しを行っています。

(もしよろしければ、その様子を編集した動画をご覧下さい。)
https://youtu.be/2j1193N-4EY

ここフィリピンでは、ロックダウンにより外出制限がされ、仕事も失ったスラムの貧困層の人々は、深刻な飢えに苦しんでます。


気が付いてみたらもう三ヵ月になろうとしています。既にもう限界です。
また、地域の封鎖と移動制限により、日本でいう県境どころか、何丁目という区画からも自由には出られません。
この炊き出しも許可を得て、現地のフロントライナーと協力して行っています。

このあいだ、この山岳スラムに住む高校生の女子が、facebookに、

「もう塩は飽きた!」

と笑えない冗談を投稿していました。

いえ、、本当は冗談ではないのですが、、、

自分がそれを見て、「大丈夫?」とメッセージを送ったら、

「大丈夫。ありがとう。冗談よ」と強がってくれた、というだけです。

配給されたお米を、うすいおかゆにして、味付けは少量の塩で、
それが毎日の、いつもの食事です。

そんな 思いやりと強さを持った彼女と出会ったのは、
自分が、この地域を支援し始めた頃でした。

彼女はまだ4歳でした。

そして、今ではもう高校生です。

自分らがこの山岳スラムを訪れて、支援活動をするといつも手伝ってくれます。

あの頃は、自分を見ると怖がって、いつも泣いてた子が、
今では、将来のことを、一緒に、語りあったりします。

彼女は言います。

「私も、周りの困った人たちを、助けられる人になりたい」

と。

今日は、そんな高校生のボランティアや、

そして、仲良しのおかまちゃんも一緒です。

活動を続けて行くうちに、
そんなふうに、
何人かの有志が、フロントライナーとして、炊き出しを手伝ってくれるようになりました。

ほんとにありがとう。

今日のメニューは、ご飯とチキンです。

だけ、です。

、、、

それだけ?と思いますか?

でも、これが、今、この子たちにとって、ものすごいご馳走なのです。

だって、、、

みんな嬉しそうでしょう?

甘いジュースもあります。

みんな、大喜びです。

久しぶりのちゃんとした食事に、興奮する子どもたちに、
とりあえずソーシャルディスタンスもやらせて、食事を配ります。

いつもはみんなほとんど裸なのに、
今日は、NGOの支援で配った服を、わざわざ着てきてくれています。

みんな、家からお皿を持って集まるのですが、
スプーンとかは持ってこないで、

子どもたちは、その辺に座って、普段通り、手掴みで食べています。

骨とかの食べ残しをもらおうと、犬が寄ってきます。

きっと犬にとっても、久しぶりのご馳走なのです。

外出禁止のなか、久しぶりにあった友だちと、話すことも忘れて、

子どもたちは、一心不乱に、ご飯を食べています。

本当は、毎日毎日、お腹いっぱいにさせてあげたいけど、

ごめんね、今はこれがせいいっぱいなんだよ。

ごめんね、、、



でも、楽しそうでしょ?

炊き出しをしてる方も、食べにくる子どもたちも、

なんか、笑顔です。

だから、

やっぱり、

よかったな

って思います。

こんな小さな力だけど、

こんなささやかな助けだけど、

でも、

今できるせいいっぱいの気持ちを届けられたらいいな、、

ずっと、

そばに寄り添って

その命を、

子どもたちの笑顔を

守りたい、、

そう、思います。

これからも、ずっと、、、

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JOHNです。よろしくお願いします。
海外のことや日本のこと、世界の現実、経済や政治、ポエムまで、いろいろ書いてます😅
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自分は、国際協力NGO「HOPE~ハロハロオアシス」の代表を務めています。(詳しくは下記「自己紹介・NGO連絡先」リンクをご参照お願い致します。)
あ。「YUMEKAKE」というのは、NGOの活動のプロジェクト名(YUMEKAKE PROJECT)です。
世界の子どもたちの、笑顔と希望と夢の架け橋になりたい、という意味です。

このブログでは、国際協力活動を通しての視点で、海外また国内の、様々な問題や出来事、スラムや難民キャンプの人々の生活、NGOの活動の様子等を、時に真面目に、深く、時にゆるく、書いていきたいと思います。
そして少しでも、皆さまに、世界の様々な現実を知ってもらえるきっかけを届けたいと思っています。

今後ともよろしくお願い致します。

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「ロックダウンからの脱出(Ⅳ)」 ~フィリピン・セブ島ー差別、監視、軟禁、、3・21、あの日、新型コロナウィルスにより突如封鎖された島を、ボクらは脱出した、、

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ロックダウン、、、それは都市封鎖と訳されるが、この時、フィリピンは、新型コロナウィルス感染抑止のために、世界の中でも先駆けて、国そのものをロックダウンした。

それゆえに、フライトのキャンセルが生じ、航空券が無効になった。

後にいくらかの(支払金額からみたらほんとに少額の)払い戻し手続きができたのだが、この時点では、ただフライトがキャンセルされただけで、代替え便があるとかいうわけでもなく、事実上、ただただ「このままじゃ帰国できませんよ」と一方的な宣告を受けただけだ。

とにもかくにも状況を把握しよう、

と、翌日、空港のフィリピン航空のオフィスに直接出向いた。

ボランティアのメンバーは、NGOのサポートチャイルドに世話を頼んで、大型ショッピングモールへ行き(この頃はまだオープンしていた)、一緒に過ごしてもらった。

現地スタッフのひとりと昼前に空港に行ったのだが、そこには既にたくさんの、路頭に迷った外国人が詰めかけていた。

そりゃそうだ。みんな、昨日いきなり、フライトキャンセルされて、どうにかしようとここへやってきたのだ。

ただ、こういう時にやはり日本人はどう立ち回ったらいいか不得手なのか、日本人はほとんどいなかった。

ついさっきまでビーチで遊んでて、飛行機に乗りにきたんだけど、飛んでないよ?なんていうお気楽な感じの日本人観光客はいたけど(^^;)

だが、ここ、セブには、観光客もそうだが、とても多くの日本からの短期語学留学に来た学生とかがいる。それは、「突然のロックダウンにより取り残された大量の日本人」として、後々大きな話題にもなる。

自分らはまだ、帰国予定日が先だったので、この時点では、「今後の見通しの確認」という感じだったのだが、今日明日のフライトだった人たちは、殺気立っている。

オフィスに詰めかけた人たちで、そこはちょっとしたパニックになっていた。

なにはともあれ整理券をもらい、だがオフィス内にも入れず、外でぼーと順番を待つ。

午前中に来たのに、結局、待ってるだけで夜になってしまう。

やっと、やっと順番が回ってきて、航空会社のスタッフに状況を聞く。

その返答は、

「明日はとりあえず臨時便が飛ぶ予定。でも、その先はまだわからない。」

だった。

いちおうまだ一週間程、滞在日程が残っていることもあり、いきなり明日のフライトの話を進めるわけにはいかなかった。他のメンバーにも相談しなければと思ったし。

しかし、それ以上のオファーはなかった。

うーんうーん、、と困っていると、フィリピン航空スタッフが、それなら仕方ないわねえ、、という感じで、ある提案をしてきた。

「まだ未定だけど、今週末(土曜日)に臨時便が飛ぶかもしれないので、今、その搭乗予約名簿を作ってるから、いちおうここに名前を書いておく?」

というものだ。

なんか、フィリピンとはそういう国だとは充分わかってはいるけど、、、後先考えずに突然ロックダウンして、何の補償も代替え案もなくフライトをキャンセルして、窓口で粘ったら、これまた曖昧な提案をしてきて、、、なにもかもが無計画で無責任で行き当たりばったりな感じがするが、とりあえずどうしようもない。

土曜日なら、まだ日にちがあるし、とりあえず名簿を作るだけだから、ということで、その予約名簿に名前を書いた。
(とはいえ、結局それも無効になったと後で知ったんだけど、、、それもまたフィリピン(-_-;))

そんなこんなで、一日空港にいて、ほとんど身の無い時間を過ごし、疲れ果て、夜間外出制限の9時に引っかかるギリギリの時間に、なんとか空港を出た。

で、宿に帰ってから、ボランティアのみんなに事情を話して、

「少し日程が早まったけど、今、こんな状況なので、土曜日に帰国しよう」と、いうことになった。

この時はまだ、この甘すぎる考えに気付いていなかった。

だが、、、

その夜もまた、ほとんど寝る時間もなく、できる限りの情報を集め、諸機関や現地の知人とも相談し、あれやこれやと動いていた。

そんな中で、なんとかみんなには、自分らが「差別されて監禁されてる」っていうことを、気にしないでもらえるよう、あまり切羽詰まった感は出さないでいたんだけど、実際はけっこう裏で対策をしていた。

しょうじき、現地スタッフはもうコロナが怖いのと、あと、フィリピン人は上からの命令に弱く、ぜんぜん動くことができなかったので、自分ひとりで手を尽くし、フィリピン人の友だちや、フィリピン在住の日本人や、大使館とかと連絡を取りながら、打開策を試行錯誤していた。

政府からのアナウンスは日々、ころころ変わるのだが、確実に悪い方向に行っている。

既に、フィリピン国内の都市間移動も禁止。

また、外国からの入国もすべて禁止になった。(外国人の出国については、まだ禁止にはなっていなかった。飛行機が次々とキャンセルになっていたので、事実上、どうにもならない状態には違いないが。)

世界の感染拡大状況もどんどん悪くなる。COVID-19はもうしばらく止まらないだろう。

日本だっていつ入国制限に踏み切るかわからない。

フィリピン政府や日本大使館からの情報も錯そうし、何が何だかわからない。

このままここにいても、もちろん軟禁状態は続く。

ボランティアのみんなの、大きくなる不安な気持ちが、痛いほど伝わってくる。

しょうじき、自分はどうだっていい。

このまましばらく日本に帰れなくなっても構わない。

でも、

このボランティアの学生たちは、なんとか無事に日本に帰さなきゃ、、、連れて行かなきゃ、、、

それに、よく考えてみたら、昨日の名簿のやつだって、どれくらい当てにしていいのかわからない。

それがフィリピンじゃん?今までそうやって何度も痛い目にあってきたじゃん?

日に日に悪くなっていく状況。世界も、この国も。

もうしばらくは良くはならないだろう。

錯そうするたくさんの不確かな情報。

何を信じていいかはわからない。

でも、ここは、もう、自分の経験からくる感覚を信じよう

そして、結局、

自分が下した判断は、

「フィリピンのこの状況はすぐに改善しないし、また、日本が入国制限に踏み切る前に、少しでも早く帰国しよう。」

だった。

うん、

「もう様子を見てる場合じゃないよな」

と。

「少しでも早く手を打って、できるだけ早くこの国を出よう」

そう判断した。

そして、翌日、

ボランティアのみんなにそれを告げた。

みんなも納得してくれた。

、、、

この日から毎日、自分は、空港に通うことになる。

なんとかして12名(プラス自分)全員分のチケットを手配するために。

今度は、航空会社のオフィスではなく、直接チケットカウンターで、並び、交渉することになる。

企業や語学学校等は、法人単位でチケットを抑えてるようだ。
また、セブ日本人会も動いている。

しかし、この危機的状況の中、自分らのように、個人の力でチケットを手配するのは容易ではない。

同じように、路頭に迷った外国人が、小さなたったひとつの窓口のチケットカウンターに、連日、たくさん集まり、途方に暮れていた。

それでも、やり続けるしかない。

粘り続けて、なんとかして突破口を開こう。

そして、

まずは、、、

滞在場所を変えよう。

空港の近くに移動して、状況次第で、みんながすぐに動けるようにしよう。

幸い、現地スタッフの息子が働いているオフィスの関係者が、空港近くにゲストハウスをやっており、そこへ泊めてもらうことになった。

これもまた突然だけど、明日、移動するので、今日はその準備と、

そして、仲良くなった子どもたちやスタッフとの最後の一日を大切に過ごしてほしい、

そう、皆に伝え、

自分もまた、ここを離れる準備を始めた。

差別と監視と軟禁に苦しめられた日々を清算し、それはネガティブなものかもしれないが、それでもまた明日の希望をなんとか積み上げるために、

新たな次の一歩を踏み出そうと、

決めた。


🌈ロックダウンからの脱出(Ⅰ)
「ロックダウンからの脱出(Ⅰ)」 ~フィリピン・セブ島ー差別、監視、軟禁、、3・21、あの日、新型コロナウィルスにより突如封鎖された島を、ボクらは脱出した、、 - YUMEKAKE/JOHN's diary

🌈ロックダウンからの脱出(Ⅱ)
「ロックダウンからの脱出(Ⅱ)」 ~フィリピン・セブ島ー差別、監視、軟禁、、3・21、あの日、新型コロナウィルスにより突如封鎖された島を、ボクらは脱出した、、 - YUMEKAKE/JOHN's diary

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「ロックダウンからの脱出(Ⅲ)」 ~フィリピン・セブ島ー差別、監視、軟禁、、3・21、あの日、新型コロナウィルスにより突如封鎖された島を、ボクらは脱出した、、

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監視と軟禁状態の中、地域の役人や住民から差別を受けているような、こんな場所にいてももう意味がない。

そう判断した自分は、他の地域(隣の市)の仲間に連絡をとり、ボランティアを連れて、支援活動に行くことにした。

もうその時点で、自分らがいたセブ市は、いくつかの行動制限が厳しくなっていたのだが、隣の市(タリサイ)では、まだ大丈夫、とその仲間に言われていた。

彼女は、自分が、フィリピンに来始めた、もう20年近く前に出会った子だった。

NGOはまだ立ち上げてなく、自分は現地の団体にボランティアとして参加し、貧しい子どもたちに毎日炊き出しをする活動をしていた。

その時に、彼女はまだ小学6年生で、いつも、自分の弟(まだ赤ちゃん)を連れて、毎日、食事をしに来ていた。

その後、現在住んでいる隣の市に、彼女が引っ越したり、自分が今のNGOの活動を始めて、また違う地域の支援をメインにしていたりで、ずっと疎遠になっていたのだが、近年、SNSでまた再会し、友好を深め合った。

そんな頃からのつながりなので、とても絆は深く、自分も信頼している。

NGOのメンバーやボランティアではないが、彼女が今住むスラムに対して、彼女のコーディネートで、支援活動をしている。

普段の活動においては、そのスラムは、NGOの事務所から少し離れているので(市は違うのだが、どちらもそれぞれの市の外れにあり、それほど遠くもない)、直接の支援活動はしていないのだが、やはり貧困地域であり、彼女の縁で支援をしている。

そして、彼女が移動の車を手配してくれ、宿舎まで迎えに来てもらった。(自分らは自由に動けないので)

そうして彼女の村に向かったのだが、タリサイにはいくつかのビーチがあり、自分らが出掛けようとしてると、また近所の人が事情聴取のようなことを、スタッフにしていて、通報をしたらしい。

「こんな時期に日本人はタリサイのビーチにみんなで遊びに行きやがった」

と。

そんな話を後で聞いたのだが、もう何も言うことはない。

コロナに侵された人々の心は、救いようがない状態になっていた。

それは、今、その頃からのロックダウンが5ヵ月続く現状とは違う。
今は「コロナ感染への恐怖」は、実際にそこら中にうじゃうじゃしてるウィルスそのものへの充分の現実的な恐怖なのだが、まだ感染者が少なく、ただただコロナウィルスという得体の知れないものがやってくるのを恐れていたその頃は、「コロナは外国からやってくる」ものであり、部外者を極端に恐れる風潮が蔓延していた。

少なくともその地域の人々の間では。

そんなこんなで、セブ市から離れての活動を始めようと動き出した、、

だが、

タイミングはもう既に遅かった。

この日、セブ市だけでなく、フィリピン全土に、いくつかの行動制限があらたに発令された。

昨日まではOKだったことが、今日はもうNGになっている。

もともとフィリピンという国はそういう国なのだが、、、

「この辺は大丈夫」と住民が言った地域に行ったのだが、その住民たちでさえも、政府のいきなりの規制の発令に付いて行けてない。それが混乱したこの国の現実だった。

というか、自分らはここに早朝から来て支援活動をしていて、新たな政府の発令はその後だったし。

また、計画していたこのイベントは、やはりこういう時期なので、あまり目立たないように、少人数で行う予定だったのだが、屋外でのイベントだったので、やはり近所の子どもたちが、どんどん集まってきてしまい、収集がつかなくなり、もちろん充分に目立ってた。それもよくなかったのだろう。

そして、やはり、それを見た誰かが通報したらしい。

子どもたちと一緒に、ゲームをしたり、支援物資を配給したりしている最中に、騒ぎが起きた。

バランガイスタッフ(地域の役人)、ポリス、DOH(フィリピン保健省)の職員等がやってきて、イベントの中止と強制退去を命じてきたのだ。

ただこれは、外国人差別とかではなく、日々、ころころ変わる規制事項に、ひっかかったことが理由なので、DOHから、今日(さっき)新たに発令された規制事項について説明を受け、自分も納得して、とりあえずやることはある程度やらせてもらって、命令に従ったのだが、

手伝ってくれた現地のボランティアとかが逮捕されたりしないよう、バランガイスタッフやDOHと話し、なんとか、何事もなく収めることができた。

フィリピンではこういう場合(結果的に政府の命令を破ったことになる)、本来なら、責任者の拘束や罰金がおかしくないのだが、「地域の子どもたちの支援のため」ということもあり、向こうも納得してくれた。

バランガイスタッフのリーダーが言った。

「こうやって支援してくれるのは嬉しいけど、でもわかってほしい。今は中止させざるを得ないんだ。ごめんな。」と。

いや、、ほんとに仕方ない、、、それがこの新型コロナウィルスに侵され始めた世界の、そしてフィリピンの現実だった。

ころころ取り決めが変わると言えば、子どもたちの学校も、2~3日前は、「来週から休み」とかって言ってたんだけど、ロックダウンの決定で状況が変わり、突然すぐにぜんぶ休みになっていた。

そして、その頃の世界情勢はというと、スペインやイタリアでパンデミックが拡がって、おそらく人類にとって想定外の事態になって行ってた。

また、その前日、ひとりのボランティアが帰国したのだが(もともとの日程で)、その人を空港まで送っていった時には、まだ何もチェックはなかったし、空港も平常通りで、飛行機も普通に飛んでいた。が、

しかし、

この日の前後を境に、フィリピンは、そして自分らを取り巻く状況は、また急激に変わり、

それはどんどん悪くなっていくことになる。

なんだかんだとまた大変だったけど、それでも久しぶりに外に出て自由な息が吸えた開放感も味わうことができた、ほんのひとときだけど、周りの猜疑心を気にせずに子どもたちと笑顔で過ごすことができた、そんなその日の支援活動を終え、宿舎に帰り、メールをチェックすると、

航空券を手配していたフィリピン航空からこんな連絡が。

「ロックダウンにより帰国便のフライトがキャンセルされました」



《(Ⅲ)了。続く、、》

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「ハカリに乗せて、まだ揺れが止まらないうちは、目盛りを読むこともできない」 ~コロナとインフルエンザ、ワクチン、まだ誰も答えをくれない。見つからない。だから今はまだ何も否定せずに、素人は素人なりに考え、そしてすべてを飲み込んでおこう、、、

f:id:yumekake-john-ngohope:20200807161920j:plain新型コロナウィルスとインフルエンザの比較がよく行われて、「インフルエンザの方が危険なのに、どうしてそんなコロナコロナ騒いでんの?」って言ってるのをしばしば聞くようになった。

ちなみに自分も必要以上にコロナコロナって過剰反応したり、過剰対策したりするのは嫌だし、経済活動との兼ね合いも大事。でもって、ロックダウンや自粛は、大きな意味はあるとは思うけど、タイミングが重要だと思う。あと、風邪の一種だってのもとりあえずそうだと思う。ただ、残念ながら特別にやっかいだけど。(ちなみにインフルエンザは風邪の一種ではないらしい。)

と、同時に、自分的には、今回のCOVID-19を、やっぱり怖いし、舐めたりしてはいない。うちは高齢の母と同居なので、万が一を考えると絶対に感染できないし、うちみたいな田舎で、感染者がでるということが、どんな結果を引き起こすか、考えるだけでも恐ろしい。


そしてもうひとつ。

日本ではインフルエンザにはぜんぜん対策しないけど、コロナにはそれなりに対策してたんで、感染者数の結果とかで単純に論じることはできない。

では、コロナにもあまり対策をしなかったスウェーデンで比べてみよう。

インフルエンザの死亡者数は、2016-17:731人、2017-18:1021人、2018-19:505人。

今年のコロナの死者数は、7/20時点で5619人。

それでもコロナなんてインフルエンザよりも怖くないって言えるのだろーか?

自分には説明がつかないんだよね~🙄

あ。これはスウェーデンのコロナ対策(集団免疫獲得のためにロックダウン等の厳しい規制をしない)についてどうこう言いたいんじゃないよん。事実、他のヨーロッパ諸国に比べて、スウェーデンの経済への影響は格段に少なかったわけだし。ただコロナとインフルエンザの比較データを持ってきただけ~。

んで、まあ、何が言いたいのかというと、コロナを恐れ過ぎて過剰反応するのは良くないと思うけど、インフルエンザを持ち出してきて比較するのも、いまいちまだ説得力がないような、、、ってこと?

現時点では、何を言おうと、あくまでも推論であって、それはそれでいいんだけど、まだ断言しちゃうのは自分にはどうもひっかかるん😳

ところで。

今、ロシア、イギリス、中国、アメリカ等が、ワクチンの開発をリードしている感じだ。

で、コロナ対策への出口戦略を進めるひとつのキーワードが、このワクチンの完成なのだと思う。

もしワクチンが開発されたら、世界秩序も経済の流れも一気に変わるだろう。

で。

なんか9月には、、なんて言われたりするけど、どうかはわからない。

でも、少しでも早く開発されて、なんとなく安心した世界に戻っていくことを願う。

ワクチンといえば、以前めっちゃ話題になったアビガンだが、

まあ、今回の新型コロナウィルスへの特効薬となる可能性は低いらしい。

ただ、少なくとも日本では、患者の了承を得た上で、投与が行われている。

そして、アビガン投与によってよくなった、というような芸能人の発言があったりもする。

実際は、アビガンが効いたのか、それともたまたま治るタイミングにすぎなかったのはわからないが、こういう有名人の発言が、より人々の期待をあおったのだろう。

じゃあ実際効かないかといえば、確かに新型コロナウィルスへの直接的な効果はないのかもしれない。

が、悪化を防ぐ対症療法の過程では、効果がある場合もないわけじゃない、と思う。

もちろん副作用については充分気を付けた上での話だが。

今回のコロナは、決して致死率や重症率が高いわけではないので、対症療法で病状悪化を防いでるうちに治ってしまう、ということが多いのではないだろうか。

そう考えると、アビガン、捨てたもんじゃない。

と、思うんだけど、、、

どうなんだろー?😅

ところで、、、

コロナは暑さと湿気に弱い、という当初の論はいったいなんだったのだろう?

世の中、表面的なデータだけじゃ語れない、ということだよね。

それも自分みたいなシロートには危険😱

でもって写真は、、、

低酸素トレーニング用に、、、というか顔痩せ用に!😂、使ってるフェイスマスクで、

今まで外でこれしてると怪しい人に思われたんで、ジムでしかしなかったんだけど、

コロナでこんな感じじゃん?みんなマスクしてるじゃん?

だから外でもあんまし違和感がなくなって、今、暑いのもあって、めっちゃ汗がかける!🤣

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「これは混迷が続く中東の縮図なのか、それとも事故だったのか」 ~かつて中東のパリと呼ばれたレバノンで起きた大爆発について、今思うこと。あくまでも今、現時点で、、

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My partner is still there. I can't make a contact with him now yet.

「彼がまだそこにいるの。でも、まだ連絡がとれないの。」

そう彼女は言った、、、



日本でも朝からニュース等でやっているので、知っている方も多くいると思う。

昨日、中東、レバノンの首都ベイルート、港湾地区で大爆発が起こった。

政府からの発表によれば、大量の化学物質(爆薬の燃料となる硝酸アンモニウム)を保管していた倉庫が爆発したのだという。

未だ現地からの情報が錯そうしており、はっきりしたことは言えない。

倉庫が爆発したことによるものだとしても、それが事故なのか故意なのか。

いずれにせよ、大変な事態には間違いなく、負傷者の一刻も早い救出を願う。

報道では、死傷者はすでに5000人を越えているが、瓦礫に埋もれている人々がまだ多数いると思われるため、今後もっと増えていくだろう。



冒頭の言葉は、自分のフィリピンの友人によるもの。

そう、中東諸国には、たくさんの出稼ぎ労働者が働きに行っており、フィリピンも例外ではない(というか代表的な出稼ぎ労働者供給国だ)。
今回の新型コロナウィルスによる現地(出稼ぎ先)の経済状況の悪化で、多くのフィリピン人労働者が職を失い、母国へ帰国しているが、もちろん現地に残っている人も大勢いる。

彼女の彼氏も、ベイルートに出稼ぎに行っている。

そのような両国の関係もあり、日本とフィリピンでは、この事件に対する人々の温度差がぜんぜん違う。また、フィリピン人のレバノンに対する親近感は、この国が、中東にありながら、キリスト教の国内における勢力が強めだということもあるのかもしれない。

日本では、ニュースの片隅でちょろっと触れるくらい(まだ詳細がわからないこともあるのだろうが)の「外国で起きたニュース速報」な扱いだし、おそらく人々の反応も「すげー爆発!」という感じかもしれないが、
フィリピンでは、もっと身近で切実な出来事で、例えばSNS等で既に多くの人がシェアをし、祈りを捧げている。

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数年前に、中東を旅した。

バックパックを担いでの個人旅行だったので、例えば国境越えでいざこざがあったりもしたのだが、そういう旅の顛末はさておき、

その際に、レバノンにも行った。(写真はその際のもの)

長年の内戦から経済復興を遂げつつあったレバノンは、少なくとも表面的には、人々の生活も落ち着き、

ベイルートは、中東の金融・ビジネスの拠点として、かつて「中東のパリ」と呼ばれていたその姿を取り戻していっているように見えた。

再開発された旧市街では、オシャレなアパレルやブラント店、カフェが立ち並び、地中海沿岸の風光明媚なこの国は、ヨーロッパとアラブが混在しつつ、どこか洗練された佇まいを見せていた。

だが、街の至る所で、古い家屋には、内戦による弾痕が残り、郊外では瓦礫化した家で生活を続ける人々もいた。

政情不安は未だ続き、また、隣のイスラエルとは、今でも変わらず緊張状態が続き、度々、衝突も起きている。

レバノンにはその小さな国土に、様々な地理的・歴史的要因から、いくつもの宗教(政府公認だけでも18の宗教または宗派)が混在する。15年も続いた内戦も、やはりその宗教対立が大きな要因だ。
そして現在、混迷する政情のひとつの鍵となっているのが、イスラムシーア派組織ヒズボラである。


ヒズボラシーア派大国イランと結びついており、イランと敵対関係にあるイスラエル(そしてアメリカ)は、警戒を強めている。

また、余談だが、レバノン日産自動車前会長のカルロス・ゴーン氏が逃亡した国だ。彼は、レバノンで幼少期を過ごし、現在も国籍を持っている(ブラジルとフランスとの多重国籍)。ちなみにゴーン氏はキリスト教(マロン派)だ。また、今回の爆発では、そのゴーン氏の自宅も被害を受けたとの情報もある。

それから、近年では、内戦が続く隣国シリアからの難民の大量流入が国家財政を圧迫し、それが大きな要因となり(コロナの影響も?)、今年3月、レバノン史上初めての債務不履行(デフォルト)に陥ったりもした。

そのように、宗教的・地理的にもいくつもの側面を持つ国であるレバノンは、歴史の荒波の中に翻弄され続け、国際関係にも緊張が続き、政情も不安定な状態が続いている。

特に、先ほど触れたように、国境を接する(しかも宗教的に相容れない)イスラエルとの関係は不穏な状況である。

今回の爆発は、その影響なのかどうかはまだわからないが、イスラエル政府はもちろん否定している。(そして被災の救済を申し出ている。)

ちなみに、これも今でもそうなのだが、多くのアラブ諸国からのイスラエルへの入国には制限がある。例えば、パスポートにシリアの入国スタンプが押されていると、イスラエルから入国拒否される。(まあ、パスポートへの細工等、対処法はあるけど。)

なので、自分もこの時はイスラエルには行っていない。有名な死海にも行ったが、ヨルダン側からだった。

あ。また話を戻して(^^;)、そんなふうに、ずっと複雑な緊張状態が続く中東情勢だが、初めに触れたように、今回の爆発が、事故なのか、はたまたテロなのか、それはまだわからない。

イスラエルは否定しているのに、トランプ(米大統領)さんが、「何らかの攻撃と思われる」なんて言ってるように、いちばんの同盟国からして現状では情報が統一されていない。(まあ、攻撃するのはイスラエルだけじゃないけど。)

今後、少しずつ、事実が判明してくるのだろう。



爆発は現地時間の4日の午後6時(日本時間の5日0時)頃。

すぐに辺りは暗くなってしまい、被災者の救出作業は難航している。

今も多くの方が瓦礫に埋もれているかもしれない。

一刻も早い負傷者の救出と無事を願うとともに、

そして、

お亡くなりになられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます、、、


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自分は、国際協力NGO「HOPE~ハロハロオアシス」の代表を務めています。(詳しくは下記「自己紹介・NGO連絡先」リンクをご参照お願い致します。)
あ。「YUMEKAKE」というのは、NGOの活動のプロジェクト名(YUMEKAKE PROJECT)です。世界の子どもたちの、笑顔と希望と夢の架け橋になりたい、という意味です。

このブログでは、国際協力活動を通しての視点で、海外また国内の、様々な問題や出来事、スラムや難民キャンプの人々の生活、NGOの活動の様子等を、時に真面目に、深く、時にゆるく、書いていきたいと思います。 そして少しでも、皆さまに、世界の様々な現実を知ってもらえるきっかけを届けたいと思っています。

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「ロックダウンからの脱出(Ⅱ)」 ~フィリピン・セブ島ー差別、監視、軟禁、、3・21、あの日、新型コロナウィルスにより突如封鎖された島を、ボクらは脱出した、、

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3月15日
この日、いきなりマニラ(フィリピンの首都)がロックダウン(都市封鎖)された。
そこから流れが一気に変わる、、、

といっても、マニラとセブは、島が違うし、飛行機じゃなきゃ行けないくらい遠いから、実質的にはセブにはあまり影響はなかった。

日曜日には教会にみんなで集まってミサとかやってたのに、週が明けてすぐにマニラがロックダウンされ、その流れでセブの学校や施設もすべてダメになったりはした。

とはいえ、それでもセブはまだゆったりしてた。町の雰囲気も緩かった。

ショッピングモールも市場もふつうに開いていたし、トライシカット(チャリンコタクシー)でちょい出掛けたり、トライシクル(バイクタクシー)に乗って自分たちでスーパーに買い物に行ったりもできた。

スーパーの入り口でおでこにピッていう検温チェックがあって、日本ではまだそういうのがやってなかったから、珍しくてみんなで盛り上がってたりもした。

「ひっかかったらここでバイバイだねー」なんて笑い話もしながら。
(毎日の検温チェックを義務化していたので、いちおう心配はなかったのですが、、)


例えば日本でも同じ感じだと思うんだけど、
コロナ感染初期に、北海道でクラスターがあって緊急事態宣言が出た時も、東京とかでは他人事だったように?

なんだけど、この日を境に、どんどん話が進んでいって、

まずは、すべての国内線がストップして、国際線も大幅に制限された。また、フィリピン全土に、夜間外出禁止令が出された。

そして、新型コロナウィルスに対する人々の警戒心が一気に増して、人々はパニックモードになっていった。

でも、それでも初めの頃は、なんでもなかった。

さっき書いたように、日本人だけでさくっとスーパーに買い物に行ったりもしてたし。

実際、まだ、その夜間外出禁止令以外の制限はなかったし。

でも、

問題は、人々の心。

すっかりコロナウィルスの恐怖にとりつかれた人々の心が、自分らに襲いかかった。

何の根拠もない「日本人はコロナだ」(中国と韓国も)っていう差別意識が、人々の間に蔓延していた。

韓国人の団体が宿泊した(泊っただけで、べつに感染者が出たってわけじゃない)ホテルの名前を、フェイスブックでシェアして、風量被害を広めたりしていた、そんな状態。

2月末だったっけ?アメリカでもあったでしょ?
地下鉄構内で中国人が「コロナだ!寄るな!」って襲われた事件。
今思えば、現状のようになってしまうアメリカ人にそんなこと言われる筋合いはないんだけど、あの頃は確かにそうだった。

「中国、韓国、日本からコロナはやってくる」

という、、、。

日本人はたぶん、そんなあからさまな人種差別をしない(イスラム国騒ぎの時に、ムスリムの人たちに対して、そういう感じになってたりもしたけど)から、自分の感覚もどこか平和で甘っちょろいものなってたのかもしれない。
また、もともと明るい性格のフィリピン人だから、いくらパニックモード(感情的な国民なのでパニックにはなりやすい)になったからって、持ち前のフレンドリーさもあるし、、、

だったのだが、思った以上に、フィリピン人の反応は極端だった。

それは、これもたぶん日本人では想像つかないかもなんだけど、、、
もともと医療環境が整ってない発展途上国、また、特に貧困層が多いフィリピンで、粗末な家々が密集し、多人数家族であるスラムにおいて、クラスターが発生したら大変なことになるっていう(実際、スラムでのクラスターは多く発生し、特にセブでの感染者は今も増え続けてる。)危惧や、

何よりも、スラムの貧困層は、病院に行ったり、検査を受けるお金がない。日本のように福祉や保健も整ってない。だから余計に感染が怖い。病気に関する知識も薄いので、かかったら死ぬ、と思ってる、、

そういう国の状態の事情もあり、政府は感染を極端に恐れて、規制を厳しくしていった。

同時に、必要以上に感染を恐れた、そんな人々の心が荒んでいった。

実際には、その頃、夜間外出禁止以外、自分らに課せられた制限はなかった。

人々もふつうに町に出歩いてたし、市場は人でいっぱいだった。

逆に自分は、「こんな状況じゃ、今は良くても、いずれ大変なことになる」と恐れていた。ミサをやってしまう意識の低さからいっても。(事実、その後、セブ市はフィリピンの世界最長のロックダウンの一番の原因になる。)

町はまだ平常とあまり変わらなかったが、しかし、人々の心は、すでにコロナに蝕まられていた。体よりも先に、心が感染していた。

「日本人はコロナ」という差別意識から、自分らのことを役場に通報する人がいたり、ひどいのになると、宿泊所(NGOのゲストハウス・一軒家)の隙間から、自分らのことを、隠し撮りにしてたりする人もいた。

実は子どもでさえそうだった。
逆に遠慮のない子どもは、「あなたたちはコロナなんでしょ?」と不可思議な顔をする子とかもいて、初めは自分らに近付いてこなかったりもした。
(毎日、他の友だちと一緒に自分らと絡んでるうちに、すぐにふつうに遊んだりするようになってたけど(^^;))

そんなこんなで、

どんどん、というか急激に、自分らに対する制限と監視の目が厳しくなった。

簡単に言ってしまうと、自分らは人々の差別意識によって、地域から隔離・監禁状態にされていた。あきらかに監視対象とされていた。

住民の通報により、自分らは、バランガイ(地方自治体・町村)における、監視、監禁、差別の対象となった。

まだ現地人には特になかった(週明けに夜間外出禁止が出たくらい)行動制限が課せられ、宿泊施設に軟禁された。

でもそれは、国で決められた法律でも条令でも命令でも何でもないから、罰則があるわけじゃないし、実際は制限があるわけでもない。(その頃のセブでは、まだ正式な規制があまりなかった。)

ただ、地域(バランガイ)の長(バランガイキャプテン)が、そういう通報によって、自分らの行動を制限しようとし、また、地域住民も同じくパニックモードにより猜疑心を募らせた。

「あの家はコロナの巣だ」
「日本人がコロナをばらまいている」

そんな監視・軟禁・差別の生活によって、宿泊所から自由に出ることもできず(表にちょっと出るだけで近隣住民から通報される)、学生ボランティアたちのストレスもたまっていった。

なんとか彼らを不安がらせないように、毎日毎晩、現地の友人や在住日本人と連絡をとり、情報を集め、「これはこれでなんとかするから」と、何事もないようにふるまおうとしていた。

幸い、NGOの支援で学校に行っているサポートチャイルドの子たちが、学校や休みなので、毎日、宿に遊びに来てくれて、学生ボランティアと楽しく交流してくれた。

が、

このままでいいわけがない。

で、自分は、このバランガイとの付き合いも長いし、そんな差別に従う理由もないので、直接バランガイオフィスに行って、バランガイキャプテンとケンカしたりもした。

「これって人種差別だろ?恥ずかしくないん?てゆーか人権侵害じゃね?!」と。

だがしかし、彼の態度は変わらなかった。

じゃあ、もうここに居たって仕方がない、何もできない、と思って、自分は次の行動を具体的に模索し始めた。

国際状況的には、「今すぐ帰国しなきゃ」という状態ではまだなかった。
だってまだ、日本ではオリンピックもやる気でいた頃だ。

だから、その時に考えたのは、今、ここにいるボランティアのみんなに、なんとか別の支援プログラムに参加してもらう手配を整えよう、ということだった。

いつも活動を行っている、ここ、ではない場所で。

そう、とにもかくにも、

もう、こんな差別的な地域にいても意味がない。

まずはここから出よう、

と、、、


《(Ⅱ)了。続く、、》

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「ロックダウンからの脱出(Ⅰ)」 ~フィリピン・セブ島ー差別、監視、軟禁、、3・21、あの日、新型コロナウィルスにより突如封鎖された島を、ボクらは脱出した、、

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もうあれから、5ヵ月目、、
新型コロナウィルスにより、各国がロックダウンを始めた3月。
NGOの現地事務所があるフィリピン・セブ島では、それ以来、未だに、「世界最長のロックダウン」が続いている。
ただ、現状として、感染者はまだ増え続けているが、経済活動をいつまでも停止しているわけにはいかないし、国民の(いや、政治家も)我慢も限界を越えている。
そして、8月より、全体的にロックダウンの規制の内容が緩くなった。
そんな中で、一度、自分らがロックダウンされた現地に滞在し、厳しい規制と封鎖の中、緊急脱出してくるまで、いったい何が起き、何を感じたかを、振り返りたいと思う。

3月中旬、中国から始まった新型コロナウィルス・COVID-19の感染は、韓国、日本でのクラスター、そして欧米でのパンデミックを引き起こし、全世界を巻き込もうとし始めていた。

その頃、自分は、NGOの現地事務所のあるフィリピン・セブ島にいた。
春休みで日本からやってきた12名の学生ボランティアと一緒に。

3月中旬といえば、覚えているだろうか、世界ではまだコロナに対する意識も今に比べるとぜんぜん低かった。
日本では既に休校要請があり、学校が休みになったりもしていたが、その政府の方針に対し、世間の声は、「おおげさじゃない?」という方が大きかった。

中国では発生源をされる武漢が封鎖され、韓国でも教会でのクラスターがあり、日本ではクルーズ船でのクラスターが問題になっていた。また、スペインやイタリアでのパンデミックも始まっていたが、今では大変ことになっているアメリカでは、まだぜんぜん対策もとられておらず、感染もほとんどなく、コロナが問題視されていなかった。

また、日本における入国制限はまだ何もなく(中国からでさえ)、現地フィリピンにおいては、その時点で感染者はまだ3名(それも外国からの旅行者や帰国者)とかだった。なので、双方の空港とかでも、特に検査はなく(PCRとかあり得なく、日本はゲートによる検温くらいで、フィリピンでも簡単な問診と検温をするくらい)、また、両国間における何らかの渡航制限や入国制限もまったくなかった。

というか、あの頃は、世界でもこんな大騒ぎになってなくて、太平洋の小さな南の島国以外は、入国制限とかしてなかった。(その国たちは、小さい島だからコロナが入ってきちゃうと大変なことになるし、医療体制も整ってないんで、コロナの感染が発生してる国のすべてを入国拒否にした。)

で、あの頃の、感染の中心は、東アジアで、中国はもちろんだけど、あと、韓国で大規模なクラスターが発生して、日本ではクルーズ船の件があった。
でも、日本については、クルーズ船はある意味ハプニングみたいなもので、実質的な国内の感染は目立ったほどなかった。
だから、国民の危機意識もまったくといっていいほど無かった。

そして、何事もなく、現地での学生ボランティアの活動プログラムが始まった。

はずだった、、、

主な活動場所は、現地事務所のあるNGOの支援地域、セブシティの外れの小さな村のスラム。
初めは特に雰囲気も変わらない、、、
それどころか、何が驚いたってこんな時期に、教会でたくさんの人が集まってミサとかやっていた。
しょうじき、日本でもあり得ないと思った。

確かに日本よりもぜんぜん感染者数も少ないし、こんな感じなのかな、と思っていた。

が、、、

ミサのあと、予定されていた、ボランティアの歓迎会に施設の子どもたちが来なかった。

そう、政府の命令により、この週より、休校規制がされ、学校や施設もクローズしなければならなくなったのだ。

そっか、こんな感じか、、

と、思い、その後のプログラムの修正を考えていた。

スラムでのNGOの活動はたくさんあるので、施設でのボランティアの予定を変更して、他の活動をしてもらおう、と。

そうこうしているうちに、歓迎会の会場に、NGOの支援で学校に行っている子どもたちが集まってきてくれた。

そして、そのひとときを楽しんだ。

それが、これからのハードな状況の幕開けになるとも知らずに、、、

と、

そんな感じで、この時はまだ、「さすがにいつもと様子が違うよね」くらいだった。
だって日本に比べたら、感染状況はぜんぜんマシだったし、町の雰囲気も特に変わりはなかった。
その頃は、国際的には、コロナに関しては、海外の方が日本より安全だと考えられていた。
「コロナは中国の周りのアジアからやってくるもの」と思われていた。

そして、その時期、同様に、嫌な感じのこともひとつあって、、、

その頃、フィリピンで初めて、フィリピン人の感染者が出たのだが、それが、日本からの帰国者だったということ。

もともと外国から見たら、中国も韓国も日本も同じようなものなので、その辺の差別感情がどうなるか、っていう不安はあった。

例えば、NGOで支援をしている山奥のスラムの話なのだが、現地からの頼みで、学生ボランティアによる支援プログラムが中止になった

それは、山奥のスラムという閉ざされた地域に、もしも感染者が出たら大変な状況になってしまうから、知らない日本人を入れることによっての感染を恐れて、ということだった。ようするに先ほど書いた、島国による入国規制と同様の理屈だ。

そのような、日本人(もちろん中国とかに対しても)に対する現地の人々の意識が気にはなっていたが、国際状況的には、中国に対する以外、まだ何も制限はなかったし、現地・セブの様子も特に変わってなかった。

ただ、ここでドゥテルテ・フィリピン大統領が、予想外の思い切った宣言をする。

3月15日。

この日、いきなりマニラ(フィリピンの首都)がロックダウン(都市封鎖)された。

そこから流れが一気に変わる、、、


《(Ⅰ)了。続く、、》

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今週のお題「2020年上半期」 ~そして最近のあれこれ。中国、アメリカ、北朝鮮、フィリピン、日本、そして、さっきアマゾン(フィッシング詐欺)から来たメール、、

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というわけで、今週のお題に今回は乗っかってみます。


ただ、おそらく他の皆さん、このテーマだとコロナ関連の話になると思うので、というか、結局、自分もそうなので、あまり目新しいことをあれこれ書くことがない、というか、逆に書き始めたらキリがない、というか、なので、ザクっと言うと、

2月の初めに、友だちといちご狩りに行って以来、誰とも遊んでない!🤣

という感じです。

そして、その後、フィリピンへNGOの活動へ行って、ロックダウンで緊急脱出して帰国して、それが3月中旬で、、、その時に成田空港から家に帰る時に電車に乗って以来、公共機関をまったく利用してません😅

自分のSuicaはクレジットカードとくっついてるやつで、Suicaは持ってた方がいいし、クレジット一体型で便利な面もあるし、何かのキャンペーンで、カード作るといっぱいポイントがもらえるって時に作りました。ただ、メインで使っているカードはあるので、ふだんは使わないのです。で、年に一度でも使ったら翌年の年会費が無料になるのですが、Suicaのチャージでも大丈夫っていうことなので、「まあ年に一回くらいはチャージするだろ」と思って気楽に構えていました。

が、なんだか怪しくなってきました😱

なので、今度、通販で何か買う時に、このカード使わないと!って思ってます😅

まあでも、そんな引きこもり生活がすっかり当たり前になっていますが、仕事がテレワークでできていることは幸運だったと思います。

そんな感じで過ごす毎日ですが、

少し、さいきん目にしたニュースをいくつか。

滋賀医科大で、新型コロナウィルスをサルに感染させることに成功して、これでワクチン開発がもっと進むかも!って。

人類の生存のために必要な研究手段だということはわかりますし、センチメンタルなことは言いたくないのですが、でもやっぱり、「ひどいな人間」って思ってしまいました。

「サルに感染させることに成功」って、、、😓

こんなことを言うのは、それはそれで問題かもしれませんが、死刑制度のある日本では、生きる価値がないと判断された人間がいるということですよね?だったら、サルの前にそういう人を使ったら?って思っちゃったりします。ただ死刑にするより、人類のために役に立てるって話にもなるし。

それは人権無視なのでしょうか?死刑は人権無視じゃなくて?いまいち意味がわかりません。

ワクチンといえば、フィリピンのドゥテルテ大統領が、先日の施政方針演説(NGOの活動の拠点がフィリピンなので、やっぱりフィリピンのニュースはいろいろ入ってきます)で、「ワクチン確保について中国に頼んだ」という内容のアナウンスをしました。

今、フィリピン(だけじゃないですが)は、南シナ海の領有権問題で中国を争っています。例えば日本だって尖閣諸島の問題があるように、客観的に見ると、中国めちゃめちゃだなって思います。国際的にもそう批判されているのですが、今、世界で中国を止められるのは、アメリカしかないので、やりたい放題です。勝手に海上に人工島を作って、うちらの領土だ!って主張してたりしています。

そんな中、大統領の、中国にすり寄る方針の発言は、国内において、やはり波紋を呼んでいます。いくら大統領大好きなフィリピン人でも、それなりに政権に影響を及ぼすかもしれません。

ただ、実は、フィリピンはもともと、ここ数年、中国の経済力と資本に頼りっぱなしでしたし、南シナ海のことだって、非難はしてましたが、具体的に何か有効なアクションを起こすわけでもなく、実質的には、黙認状態でした。

だから、これは、方針転換ではなく、ある程度の既定路線にすぎず、それが今回のコロナ渦によって、あからさまに表に出さざるを得なくなった、というのが本当のところだと思います。

と、考えていくと、これが他人事ではないって、ふつうに気付きます。

日本の場合と。

インバウンドや産業、商品、経済的に日本もやはり中国頼りになっています。
中国に気を遣って入国制限が遅れ、コロナ対策の初期対応がお粗末になってたりもしました。
尖閣のことだって、場当たり的に対応してるだけで、完全になめられています。(とうとうアメリカが乗り出してくるって話が今ありますが。)

結局、日本にとっても、中国は重要な国で、あからさまに対立はできません。それになんていってもお隣りさんですし。

コロナによって歪んだ国際協調の中、中国はひたすらアグレッシブに動いています。アメリカは依然内需拡大路線を続け、大統領選に目が向き、コロナ渦も収まらず、対外的なアプローチにどこか手探り感があります。そんな中、今後、各国がどう対応していくのか、注視する必要があるでしょう。

お隣りさんといえば、北朝鮮で「コロナ感染第1号」の「疑いがある」者がいると発表されました。

今までずっと感染者がゼロだった、という点への突っ込みはさておき、

また、もしもこれが本当に、初めての感染者(と思われる者)だとした場合も置いといて、

そうではなく、北朝鮮でもそれなりに(不自然ではないくらい)感染者はいるけど、ああいう国なんで隠してて、で、今回、、、だとしたら、やはりそこには何か狙いというか裏があるのだと思われます。

ふつうに考えれば、感染者が多いのは首都の平壌です。
なのに、今回の感染疑い第1号は、開城という地方都市です。

そこでは、先日、このようなことがありました。
南北朝鮮融和の象徴である、南北共同連絡事務所が爆破されたのです。
韓国の北朝鮮脱北者団体のビラ巻き行為に対する報復とされていますが、それと同時に、これはいわゆる北朝鮮のいつもの瀬戸際外交による、世界への存在感アピールです。

しかし、それなりに話題にはなりましたが、注目も長続きせず、経済制裁は相変わらずのまま、いつのまにか話題から消えてしまいました。

そんなこんなで、今回のコロナの件。

まず、場所が、その開城だということ。そして、今、その感染(疑い)者は、「脱北をしたものの、韓国でもうまくいかず、また北に(川を渡って)戻ってきた者」されています。

ようするに、次の北朝鮮のターゲットは、今、韓国に向いている、、韓国を足掛かりにして、世界へのアピールをしようとしている、と考えられます。

まあ、もし、裏があるなら、ですが。

ただ、ひとつ気になるのは、今までは、北朝鮮は韓国をあまり相手にしていない、というか、せめて韓国を飛び越して日本を挑発してきていた、と思うのですが、今回、すぐ隣の韓国叩きに固執しているのは、もう国力が、近所への嫌がらせくらいしかできないくらい落ちてるのでは、ということです。

おそらくコロナによって。

そんな北朝鮮が、どうにも苦しくなって、断末魔の叫びのごとく、やけっぱちの蛮行にでないことを願っています。

まあ、真実は結局何もわからないのですが、、、

あ。最後に!😳

写真のメールはamazonを装ったフィッシング詐欺メールなのですが、
ドメインも「amazon.co.jp」ですし、アマゾンプライムに登録した覚えのない自分でも、「あれ?キャンペーンで無料登録とかしたっけ?」と一瞬悩んでしまいました。
ほんとによくできてます。

皆さまもお気をつけ下さい。


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「それでも幸せはここにある」 ~フィリピン・セブ島のスラムで困難な生活を強いられている人々。それでも人々はそこで暮らし、喜びも哀しみも、やっぱりそこにあります、、

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今日はこの家のパパの誕生日です。

「ん?また誕生日の話?」って?

そ、そうですね😅

考えてみれば、自分はもう20年近くこの地域に関わっていて、もちろんたくさんの知り合いがいて、毎日、誰かしらが誕生日を迎え、
そして今は、ロックダウンでぜんぜん会うことができないこともあり、そういう特別な出来事があると、こんなふうに写真を送ってくれたりするのです。
それでつい何か思うことがあったり、こういう小さな日常からわかる現地の様子を紹介したかったりで、こうやってブログに書いたりしてしまいます。ご了承ください😅

ちなみに、写真を撮っているのは長男で、NGOの支援で学校に通っています。
家族は他に長女もいます。
ただ、主人公のパパは少し具合が悪いようです。
長期間のステイホーム生活、食糧不足による栄養失調、生活苦による精神的なもの等で、体調を崩す人が増えています。

ところで、

家族で誕生会はいいけど、、、

「密じゃない?」

と、思う方もいらっしゃると思います。

でも、仕方ないのです。

だって、、、ただ、家族が家の中で暮らしているだけなのです。
ちゃんと「ステイホーム」を守りながら。

写真は出入り口から撮っています。
窓(窓ガラスとかはなく、ただのくり抜きですが)は後ろにある小さな四角だけです。
この狭い空間で一家が生活しています。
昨年末、ここら一帯は火事で焼けてしまいました。
避難所や、その後、ビニールシートで囲んだだけの家で暮らしながら、家族で助け合いながら、自分たちで、少しずつこの家を建てました。
そう、この小さく粗末かもしれない家は、たとえ狭くても、自分たちで築いた、大切な、あたたかいマイホームなのです。

ロックダウンにより仕事も学校も休みですし、新型コロナウィルスによる感染対策で基本的にはステイホームです。だから家族は、一日中、この狭い空間で、身を寄せ合って暮らしています。
食事は、家の前で、火を起こして作ります。
家財道具も火事でぜんぶ焼けてしまったので、NGOで支援をした鍋や食器を使って。
今日の誕生日のケーキも子どもたちの手作りです。食パンを積み重ねてアイスクリームを塗って、ゼリーを散りばめて、アイスのファミリーパックのフタに乗せてみました。そこへ、アイスのバーで作った札を立てて、、、

HAPPY BIRTHDAY

たとえ今のコロナ渦が過ぎ去っても、根本的な貧困が解消されるわけではありませんので、やはり困難な生活に変わりはないでしょう。
それでも、感染と飢えの恐怖に怯えながら過ごす、今の最悪な時をなんとか乗り越えようと、この小さな我が家が、またにぎやかな笑顔で包まれる時が来る日を信じて、家族は、がんばって耐えています。

ほんとに、ほんとにささやかな幸せかもしれないけど、
家族の幸せは、やっぱりこの小さな我が家にあるのです。

スラムでの生活は、お世辞にも安楽なものではないし、常に貧困による厳しい現実と隣り合わせですが、それでも、この場所に、彼らの喜びも哀しも、すべて宿っています。

自分は、そんな人々の、ささやかな生活に、ずっと寄り添っていたいな、と思います。

たくさんの思いをわかちあいながら、、、

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自分は、国際協力NGO「HOPE~ハロハロオアシス」の代表を務めています。(詳しくは下記「自己紹介・NGO連絡先」リンクをご参照お願い致します。)
あ。「YUMEKAKE」というのは、NGOの活動のプロジェクト名(YUMEKAKE PROJECT)です。世界の子どもたちの、笑顔と希望と夢の架け橋になりたい、という意味です。

このブログでは、国際協力活動を通しての視点で、海外また国内の、様々な問題や出来事、スラムや難民キャンプの人々の生活、NGOの活動の様子等を、時に真面目に、深く、時にゆるく、書いていきたいと思います。 そして少しでも、皆さまに、世界の様々な現実を知ってもらえるきっかけを届けたいと思っています。

今後ともよろしくお願い致します。

NGOの活動にご関心のある方は、お気軽にお問い合わせください。

【 国際協力NGO「HOPE~ハロハロオアシス」】

” ただ与えるのではなく、共にわかちあう支援を ”  

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