スラムの片隅から世界を、、【YUMEKAKE/JOHN's diary】

国際協力活動のなかでのマジメな話からゆる~い話まで/海外から日本から

「後悔はしてる。でも不幸じゃないよ。それに、まだあきらめたわけじゃないよ、、」~貧困により夢を奪われた彼女の人生~ とあるフィリピンの貧しい村の女の子の話、、


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国際協力NGOの現地事務所のあるフィリピン・セブシティ。また、自分が日本人であることもあって、セブにある(あった)日本語学校とちょい交流がある。主に、日本への技能実習生(介護とか飲食とか)を養成するための学校で、そこでの勉強を終え、日本語や就業のための試験をクリアし、現在、日本で働いてるフィリピン人の知り合いがけっこうたくさんいる。技能実習生というとなんだか格式ばってる感じだが、結局のところ、いわゆる出稼ぎだ。

とはいえ、彼女らの日本での生活の様子を見ていると、海外への出稼ぎで家族への送金で大変、というよくあるイメージともなんか違う子が多い。まあまあ優雅(というわけではないが、それなりに遠出や遊びに行ったりもしつつ)に暮らしてたりする。送金もしているのだろうが、給料を生活費以外、自分のお小遣いとしてけっこう使ってる。「USJ楽しかったあ」「新しいiphone買ったよー」なんてメッセージが来たりもする。


自分もちょっとイメージの違いに「あれ?」と思ったりしてる😅

でも、考えてみれば、それもそうだ。

今、日本に来ている技能実習生の多くは、コロナのパンデミック、そしてフィリピンのロックダウン、その前に学校に行っていた子で、パンデミックで海外渡航ができない3年間を「待つことができた」子たちなのだ。

それ以前に、高校を卒業して、働く必要がなく、また学校に通わせてもらえる、というだけも、少なくともそれなりの家庭環境だということでもあるし。

もちろん貧困家庭の学生も多くいる。学校は授業料は無料なので、資格試験の勉強のための半年間、なんとか家族がサポートする。でも、それはずっともたない。ましてや、いつ終わるかわからなかった、パンデミックの間、、

そう、この空白期間の3年間を「待てなかった」卒業生もいる。けっこうたくさんいる。

学校は卒業して、試験も受かって、日本語や介護の資格もとって、、、でも、そこから実際に日本で雇われるための期間(コロナによりそれが3年間も空いたのだ)を待てずに、家族のために働かなきゃいけなくなった、ようするに、きっと本来の「家族への送金のための出稼ぎ」が目的で、それがとても必要な子たちだ。

日本で雇われるのを待ってる間だけ働いて、雇用のチャンスが来たらやめればいーじゃん、と思うかもだが、いったん働き始めてしまうと、環境も変わり、それこそ日本語の勉強も続けることも困難になってしまう(忘れてしまう)し、学習の環境にまた戻るのは難しい。仕事に追われているうちに、モチベーションも低下してしまう。

そして、環境が変われば、人生の流れも変わる。

コロナ前に何人かの学生と会ったのだが、そのうちのひとりの話。

高校を卒業して、海と山に囲まれた、そしてとても貧しい田舎の村から、日本での介護技能実習生の勉強のために街(セブシティ)に出てきた18歳の女の子。

彼女は、家族を助けるために出稼ぎに行くため、と同時に、いや、それ以上に、昔から日本が大好きで、いつか日本に憧れ、日本に行きたいとずっと夢見ていて、こうしてそのチャンスを得るために努力した。家族もそれに協力した。苦しい生活の中から、彼女のために街での生活費を工面した。

彼女の存在は、自身だけでなく、家族の夢でもあった。

出稼ぎという形だけでなく、日本でもまた勉強や経験を積み重ね、資格をとり、そのままずっと日本で暮らしたい、と彼女は夢見ていた。彼女なら、それも不可能じゃないかなって自分も思った。

彼女は、とても優秀な学生で、学校でも成績優秀者で表彰され、周りの子も、あの娘はすごい、と言っていた。

自分も、今まで会ったフィリピン人(日本に行ったことがない)でいちばんストレスなく日本語で会話ができた。

例えば、日本の歌のカラオケを、ローマ字でフリガナとかがなくても、そのままの状態で、ふつうに歌えるくらい。

そして、もちろん彼女も、日本に働きに行けるのを楽しみにしていた。

大好きな日本に。そして家族のために。

その夢は、決してただの夢だけでなく、間もなく現実として、叶うものだった。

しかし、、

コロナのパンデミックで世界は混乱に陥り、日本に行くことができなくなった。

「どうすればいいの?」

何度も相談された。

しばらくは学校の近くのアパートで、妹(同じ介護実習の日本語学校に行っていた)と暮らしていたのだが、ロックダウンで仕事も見つかるわけもなく、お金もなくなり、「ご飯も食べられない、でも、田舎に帰っても仕事もないし、貧乏な家族に負担をかけたくない」と、嘆いていた。

その頃の彼女には日本人の大学生の彼氏がいた。

フィリピンの日本語学校と日本の学生との交流イベントで知り合ったそうだ。

しかし、こんな事態になって、もちろん会うことはできないし、彼女はとても厳しい状況に置かれ、彼氏にも生活費の援助を頼んだ。初めは、彼氏もいくらかの送金してくれたのだが、いつしか連絡が途絶えた。

仕方ない。彼氏はべつにお金を援助して口説いたとかでもなく、ふつうに出会ってふつうに付き合っただけなのだから。

コロナがだんだん収束し、ビジネスの外国人もフィリピンに来るようになっても、日本はなかなか国境を開かず、彼女は途方に暮れたまま、仕方なく戻った田舎で、無為の日々を過ごしていた。

家族も初めは心配してくれたが、彼女が日本で働くために無理してお金を出したことや、そもそも家族が日々食べていくのも大変だったことで、いつしかケンカが絶えなくなった。

そして、彼女は決断した。

また街に戻って、すぐにお金が稼げるお店で働こう、と。

彼女は夜のお店で働き始めた(風俗ではない)。

若くて、可愛くて、明るくて、フレンドリーで、英語も日本語も話せる彼女は、すぐに売れっ子になった。

程なくして、とある欧米人のお客さんに気に入られ、そのまま彼の恋人になった。

そして妊娠。

お金持ちの相手は、仕事でフィリピンに来ていたので、ずっとフィリピンで一緒に暮らせるわけではないが、彼女と無責任に、やることだやって逃げる、というわけではなく、恋人としての関係は続いている。お金も援助してくれる。ただ、奥さんはいる、、、。

しばらくすると、日本も水際対策を緩和し、技能実習生の受け入れも再開した。

でも、その時にはもう、彼女はその対象ではなかった。

もうすぐ子どもが産まれようとしていた。

もう少し、ほんとにもう少しだけ待つことができたら、彼女は明らかにチャンスをつかむことができた。

今頃は幼い頃から夢見てた日本で暮らすことができていたはずだった。

楽しみにしていた雪に喜び、たくさんのアニメを見て、高齢者のお世話をしながら、家族に恩返しができるばずだった。

しかし、その夢は、もう少しで手が届きそうだった夢は、夢のままになってしまった。

少なくとも今は。

コロナと、そして貧困が、彼女の夢を、努力と犠牲で積み上げてきた未来を奪った。

でも、彼女は言う。

「しょうじき、今、日本で働いてる同級生達がうらやましいっていう気持ちもある。残念だし、後悔もしてる。」

「でも不幸じゃないよ。」

かわいい赤ちゃんと一緒に、平和な田舎で親や兄弟と暮らしてる。裕福な外国人の彼氏の送金で生活にも困らない。お店からも「いつでも戻ってきて」と言われてる。前はスマホの通信料も払えなかったけど、今はTiktokも楽しんでる。彼女のおかげで8人の兄弟姉妹は学校を続けられてる。そして、妹は今、彼女の援助で資格試験にパスし、日本で介護実習生として働いてる。

もしかしたら彼女は、家族のために自分の夢や人生を犠牲にしたのかもしれない。

でも、彼女はそうは思っていない。

そして今、彼女は家族の笑顔にかこまれ、皆に感謝されながら、幸せに暮らしてる。

それは、彼女がずっと夢見て描いてきた幸せとは、違う形だけど。

「後悔してるけど、でも不幸じゃないよ」

その後、彼女はこう続ける。

穏やかな笑顔を浮かべて。

「それに、まだあきらめたわけじゃないよ」

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自分は、国際協力NGO「HOPE~ハロハロオアシス」の代表を務めています。(詳しくは下記「自己紹介・NGO連絡先」リンクをご参照お願い致します。) あ。「YUMEKAKE」というのは、NGOの活動のプロジェクト名(YUMEKAKE PROJECT)です。世界の子どもたちの、笑顔と希望と夢の架け橋になりたい、という意味です。
このブログでは、国際協力活動を通しての視点で、海外また国内の、様々な問題や出来事、スラムや難民キャンプの人々の生活、NGOの活動の様子等を、時に真面目に、深く、時にゆるく、書いていきたいと思います。 そして少しでも、皆さまに、世界の様々な現実を知ってもらえるきっかけを届けたいと思っています。
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