スラムの片隅から世界を、、【YUMEKAKE/JOHN's diary】

国際協力活動のなかでのマジメな話からゆる~い話まで/海外から日本から

今年の節分は124年ぶりに2月2日なんだってさ。ちなみに37年前には2月4日、、 《ひとことつぶやき~日本よりのちょっとした日常》 (#節分とは #立春 #地球の公転と暦 #獣神サンダーライガー)

今週のお題「鬼」

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というわけで、結局、年の数とか関係なく、節分の豆をひとふくろ一気にペロっと食べちゃった😅

というか、近所で「鬼は外」とかって声がぜんぜん聞こえてこないけど、もう家庭でそういうことする文化はなくなったのかな?

それともハラスメントにめんどい日本ではそろそろ「鬼差別はやめろ」とかってなってる?

ん?で?恵方巻

高くね?🙄

そんなこんなで、今年の節分は124年ぶりに2月2日なんだってさ。

ようは節分ってのは「季節を分ける」って意味だから、春の始まりである立春が一日ズレるってこと。

まあ、明日はまた寒くなるみたいだし、春の始まりっていってもピンとこないけど😅

でもって自分の理解では、地球の公転による太陽の周りをまわる周期と暦が、毎年少しずつズレてて、その結果、124年ぶりに一日ズレちゃって、また振り出しに戻るみたいな?

まあいわゆるうるう年のシステム?

あ。違う?😂

でもさあ、なんかそんな天文学やら太陽暦やら、深い意味があって、いきなり今年は節分が2月2日って言われても、、、ピンとこないとゆーか、どうでもいいとゆーか。

だいたい、それなりに日付に意味があったかもなのに、連休を作るため(?)とかで、体育の日やら成人の日やらの日付を、何年か前に変動制にしちゃったじゃん?

なんかそうゆんで、「ああ、祝祭日の日付なんてそんなもんか」って思っちゃったし、祝日でもない節分の日付なんて移動しても、特に不思議でも何でもない。

ん?ぜんぜん意味合いが違うって?

まあそうなんだけど!わかるけど!

庶民にはその程度!😝

おっと!
でもって節分が前倒しになったのは124年ぶりで、朝からワイドショーやネットで「おお!124!」みたく取り上げてるけど、37年前には2月4日になったこともあったんだってさ😁


あ。写真は、豆のおまけのお面を、獣神サンダーライガーふうに付けてみた😁

もともとの獣神ライガーを漢字で書くと獣神雷牙だし、雷っていうと鬼だし、となるとまあ節分と遠くないよね?😅


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海外のことや日本のこと、世界の現実、経済や政治、ポエムまで、いろいろ書いてます😅
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あ。「YUMEKAKE」というのは、NGOの活動のプロジェクト名(YUMEKAKE PROJECT)です。世界の子どもたちの、笑顔と希望と夢の架け橋になりたい、という意味です。

こちらの「ひとことつぶやき~」カテゴリーでは、主に、日本(NGO活動は無償で行っており、普段は日本で働きながら、現地と行き来しています。)の、ちょっとした日常のつぶやきをしています。

また、このブログの主題としては、、、国際協力活動を通しての視点で、海外また国内の、様々な問題や出来事、スラムや難民キャンプの人々の生活、NGOの活動の様子等を、時に真面目に、深く、時にゆるく、書いていきたいと思います。 そ
して少しでも、皆さまに、世界の様々な現実を知ってもらえるきっかけを届けたいと思っています。

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【彼女の周りの小さな物語から見る世界の現実とファンタジー(その2)】 (#スラムの生活 #途上国の現実 #貧乏人の子沢山 #フィリピンの学校教育と落第)

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「今、学校に行ってないの」

彼女はそう言った。

ただでさえ生活が苦しいスラムの家庭で、加えて、新型コロナウィルスによるロックダウンで親が仕事を失い、

じゃあもう学校に行けない、、

それが家族の判断だった。

小学校を終えて、中学校へは上がれずに、彼女はドロップアウトした。

彼女は言う。

「でも毎日忙しいよ。幼い兄弟の世話もしなきゃだし。毎朝、家の掃除もするし。今だって洗濯してるよ。家族が多いから大変なんだ。お皿洗いだって私の仕事だよ🙂」

日本でも昔はよくあったこと。だからこんな言い回しが残ってる。

「貧乏人の子沢山」

その通りの悪循環なのだが、スラムの貧困層には子どもがたくさんいる。
それは貧困を助長もするが、一方、希望と幸せでもあるだろう。
また、教育環境の悪さよりの知識不足や将来の生活設計を考えてなかったり、
そして、カトリック(宗教)による堕胎(時に避妊も)の禁止も大きな要因かもしれない。

まあその是非は置いといて、現実問題として、子どもが次々と産まれるわけで、少し大きくなったら(例えば小学校低学年くらいでも)、もう子守りのお手伝いをしなきゃなんない。洗濯ものだってどんどん増える。

家は狭いけど、掃除機なんてものはなし、また、洗濯は井戸で手洗い。

そう、確かに忙しい、、、

兄弟が子守りをし、家族で寄り添い、助け合い、ささやかな生活をする。

それはとても美しい家族の絆ではある。

とはいえ、家族の生活を助けるために、小学生の年齢の子が、路上で物を売ったり、チャリンコタクシーを漕いでたり、という、いわゆる児童労働って話になってしまうこととは、また違う問題になるのだが、、、

そんなわけで、義務教育なのに、簡単に学校をやめられるし、またいつでも復帰もできる。

というか、スラムの子どもたちの多くは戸籍を持ってなくて、なのに公立小学校にふつうに行ってる。

管理がどうなってるかわからないけど、学校自体がそもそも、そんなふうに、いい加減というかてきとうだ。本来の「良い意味」でも、ネガティブな意味でも。

ちょいむりやり(?)ポジティブなふうにして言ってしまうと、

毎年落第があって学年が年齢よりも遅れる子もいるし、入学が遅い子もいる。周りには学校に行ってない友だちもふつうにいる。だから学校をやめるプレッシャーもあんまりない。

家の手伝いもあるし、そもそもフィリピン人は家族が大好きだし、兄弟もたくさんいるからそんなに寂しくない。で、学校といっても、例えば、フィリピン(とりあえずこの地域の公立)の小学校は二部制で、午前中で終わるか、午後から、、中学高校は夜からだったりで、近所の学校に行ってる友だちともそんな疎遠になってしまうわけでもない。

そして、さっき書いたみたく、義務教育なので、学校に戻りたければいつでも戻れる。「今はお金がないから」とりあえず休学の感覚でもいい。

まあ、みんなやっぱり学校には行きたいと思ってはいるけどね。それに「学歴」ということを問題にすると、それはもちろん大きなことではあるし。

ほとんどの子どもは、勉強に対して真面目に取り組もうとしてる。そして子どもたちは言う。

「学校でちゃんと勉強して、仕事に就いて、家族を助けたい」と。

生活が大変なのに育ててくれた親に、学校に行かせてくれたことに感謝して、いつか恩返しをしたいと。

その感覚って、今の日本の子にもあるのかな?

よくわかんないけど。

そして、スラムの子どもたちにとっては、学校で何か特別なことをしたり、楽器やスポーツを習ったり、そうゆんじゃなくて、ただ学校に行けるということ、それだけでとても幸せなこと。

その気持ち。大切だよね、、、

。。。

小学校で学校をやめてしまった少女。

彼女の家の生活はとても苦しい。

小さな手作りの、一部をビニールシートで覆った家には、「え?どうやって過ごすの?」というくらい多くの人数が暮らしてる。

暑いし狭いし、基本、彼女は外でそこらに座って過ごしてる。

いつかの誕生日に買ってもらった、暗いとこではまともに画面が見えないくらい液晶が曇った、小さな携帯電話を握りしめて。

そして時々、自分にメッセージをくれる。

つたない英語で、もう学校に行ってないから、ふだんはぜんぜん使わない英語なのに、自分と話すために一生懸命思い出して、チャットをしてくれる。

「元気?」と。

しばらく話して、

「ごめんね。洗濯しなきゃ。またね!」

と。

貧困のため学校に行けない中学1年生の少女が、家族の洗濯物を、何時間もかけて、井戸で手洗いをする。

それが終わると赤ちゃんの世話をする。

食事が終わればお皿を洗う。蛇口をひねれば水が出る水道なんでないから、大きなたらいに井戸から水をくんで、もちろん外で洗う。

シャワー(というか水浴び)ももちろん外の井戸で。

家にはトイレがないから、近所のトイレをみんなで使ってる。

でも、家族でいつも仲良く笑顔で過ごしてる。

日本から、いや、先進国とかで、ふつうに生活してる人たちから見たら、きっと想像もできないだろう。

ただその日常を見るだけで、「かわいそう」と思ってしまうだろう。

そう、ここではそれがただの「日常」なのに。

どこにでもある現実なのに、、、

。。。

このあいだ、

少しチャットした最後に、

ふと思い出したように彼女が言った。

「あ!そうそう!私、来年から学校にまた行くよ!ママがそう言ってくれたの!」

そうなん!?

うん!よかったね!🙂

「うん!がんばって勉強する!」

うん。がんばって😊

「うん、、ありがとう。

今、とっても幸せな気持ちだよ、、、」

、、、

ほんとに、

ほんとに、よかったね。。



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【彼女の周りの小さな物語から見る世界の現実とファンタジー(その1)】 (#フィリピンの学校教育制度 #新型コロナウィルスと学校教育 #フィリピンのスマホ事情 #国際協力SDGsの限界)

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スラムの子どもたちから、よくメッセージが来る。

NGOの現地事務所があるフィリピンでは、その気になればとても安く携帯が買える。

町なかの怪しい露店はもちろん、モールにあるこぎれいなお店でも、1000円とかで。

そういうのでも、いろんな機能の充実は期待できないが、とりあえず通話やメールはできる。

で、携帯とSIMカードがあれば、あとは無料(インターネットやプロバイダー料金がいらないってこと)でfacebookのmessengerが使える。

その辺のシステムがどうなってるかはわからないが、画像とかはネット環境がないと無理だけど、文字のやり取りだけなら、messengerで無料でできるということ。

ちなみに、フィリピンでは、インターネットを使うために「ロード」というものを買って、スマホを使う。SIMカードへその都度ロードを買ってチャージする、ようするにプリペイド携帯のような形。ネットを使わないならそのロードもいらない。

そんなこんなで携帯普及率も高いし、みんなfacebook依存症😅

で、ロックダウンで学校がない(モジュラークラスという家庭学習)ので、子どもたちは家で宿題をやるだけで(外出制限もある)、時間もあるし、ストレスもたまってるし、よくその無料のメッセージをくれる。

このあいだは、こんなことを話した。

彼女は今、年齢的には中学校1年生。

フィリピンは、高校卒業まで義務教育(ということになってる)で、日本でいう中学高校は、そのまま合わさってハイスクールの6年間(英語のままジュニアハイスクールとシニアハイスクールって言えば、どっちもハイスクールなので、そのままといえばそのまま)。

また、小学校からそのまま上がっていくので、「~年生」というのも、小学校から合わせて数える。「grade~」というふうに。

ようするに中学校1年生は、Grade7ということ。

あ。小学校からそのまま義務教育で高校卒業まで上がっていくので、高校入試というものはないが、毎年進級試験がある。

落第という制度があるわけだ。

小学校1年生から2年生の進級試験に通らずに、もう一回1年生だってあり得る。


毎年落第する子がいて、また、いろんな事情で、学校に入学するのが遅れたり、途中で一回やめてまた復帰したりもするので、当たり前にいろんな年齢の子がクラスにいる。

ふつうに公立の小中学校で。

で、彼女はGrade7。

ただ、、

そう、もし学校に行ってれば、、、

。。。

「今、学校に行ってないの」

と、彼女が言う。

小学校でドロップアウトしたという。

もちろん理由は貧困のため。

残念ながら、ここではべつに珍しい話ではない。

義務教育のはずなんだけど、特にNGOの支援している貧困地域のスラムでは、学校に行ってない子どもは、ふつうにたくさんいる。

家の手伝いや子守りをしたり、小学校の年齢から働いたり。

また、彼女の場合、コロナの影響もあった。

結局、フィリピンでは、今年度、学校にはまったく通えていない。

彼女も今年度(2020年)から小学校から中学校に上がるはずだったのに、同級生は皆、同様に中学校には一度も行っていない。(学校そのものは小学校と同じ校舎なので、彼女の学校は、昼は小学校で、夜はハイスクールなので、中学生なのに、夜間学校となる。)

コロナの影響で、一年間まるまる学校生活がなく、来年度だってまだどうなるかわからない。だったら、べつに学校に所属してなくても、家の手伝いとかしてればいい、、、経済的にもともと学校に通うのが大変だったのだから、、、という家族の判断だったのだろう。

細かい話をしてしまえば、モジュラークラス(家庭学習)だって、それをするためには、鉛筆やノートとか文房具だって買わなきゃならないし。


というか、ちょっと考えてみればわかる。

学校といっても、授業があるわけじゃなく、プリントを渡されるだけ。だから先生が勉強を教えてくれるわけでもない。

あ。正確に言えば、「オンライン授業」も選べるんだけど、インターネット環境のない貧困層には無理。

そして、そもそも学校どころか、彼女の年齢では(15歳以下)、ロックダウンにより、まだ外出禁止だし(まあ、家の周りとかには出てるけど)、学校で友達と交流することもない。

それって、現時点で学生でいる意味ある?

日本でもそうだけど、学校での勉強なんて、社会に出たらほとんど使えない。「サインコサイン?何だったんだあれは?」という感じ。

あ。まあそういう話はとりあえず置いといて😅

なんていうか、現状、学校に通えないで授業もないってことは、勉強を教えてもらえもしないし、また、友達や先生との交流による社会勉強にもならない。

だったら家の手伝いしてた方が、家族のためにも子どものためにもいいかもしれない。

ちなみに彼女は、小学校しか行ってないんだけど、でも、他の子よりも英語がしっかりしてて、そういう意味ではもったいなって思ったけど、、、

でも今すぐに、NGOでも、また自分個人でも、すべての子どもの学習環境や生活環境を万全にしてあげられることはできない。

残念ながら今の自分にはその力がない。

こうやってスラムのひとりひとりの子どもと深く向き合っていると、それぞれが抱える様々な困難に対し、本当に自分の無力さを感じてしまう。

日本から見たらまるでダークなファンタジーのような世界だけど、ここではそれが、とても身近な当たり前の現実なんだ。

そして、、、



(【彼女の周りの小さな物語から見る世界の現実とファンタジー(その2)】へ続く)

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「ガキドン」の思い出、、、 大垣夜行運行終了。こうしてまたひとつ、「あの頃」が、「古き良き時代」が終わりを告げる。。 (#ムーンライトながら終了 #鉄道マニア #乗り鉄 #大垣夜行の歴史に幕)

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1月22日。

臨時快速「ムーンライトながら」の廃止が、JRグループにより、正式発表された。

自分にとっては、その前身の「大垣夜行」のイメージが強い。

東京~大垣(岐阜県)を普通列車で結ぶ、この列車は、旅人のあいだで、「ガキドン」と呼ばれ、親しまれていた。

大垣行き鈍行、ってこと😁

寝台列車ではない普通座席の夜行列車。特急とかではないので、ふつうに通勤客も利用する。毎日の夜行だけでなく、シーズンには臨時便が増加されたりもした。

いつしかそれは「ムーンライトながら」となり、車両もオシャレというかだいぶ乗り心地がよくなり、一部指定席、その後、全指定、また、追加の臨時便ではなく、逆にシーズンにしか運行されない臨時列車になっていった。

そして、昨年から今春にかけては、新型コロナウィルスの影響で、その臨時便さえ運休。そんな状態の中、とうとう、1968年の運行開始からの、半世紀以上に渡る、その歴史に幕が閉ざされることになった。

高校まで愛知に住んでたり、高校卒業後に東京で一人暮らししたり、また、旅が好きだったこともあり、帰省に、旅に、友に会いに、、この列車には本当にたくさん、お世話になったものだった。

なんてっても青春18切符で乗れる!😍

決して鉄っちゃん(今でいう「乗り鉄」とか鉄道マニア?鉄道オタク?)ではなかった(と思う😅)けど、ずいぶん頻繁に利用してた。

シーズンは混むんで、何時間も前から並んだり、ぜんぜん座れなくて、写真みたく通路に座ったり、寝転んだり。

逆に座ったら座ったでトイレとか行くのが大変だったり。

こんな修羅場のような列車の光景は日本ではもう見られないのだろう🥺

もちろんコロナ渦ではありえない😅

ムーンライトながら世代にはわからないかもだけど、大垣夜行時代は、青緑の直角ボックスシートで、寝てると体がギシギシいうし、お尻は痛くなるし、足元からもわ~と出てくる暖房は不快だし、な夜行列車、、、

でも、懐かしいな🙂

早さより快適さより利便性より、とにかく値段重視だったあの頃、今思うと、素敵な旅をたくさんした。

文庫本を片手に、ボロボロのリュックを背負って、列車や汽車でいろんなとこに行って、たくさんの人に出会い(時には夜行列車で知り合ってその後一緒に旅したりもしたりも)、かけがえのない経験をした。

うん、なんてゆーか、現代のこんなネット時代にはありえないような、ある意味赴きのある「旅人」だった。

そんな旅人がたくさんいた。あの頃、、、

ガキドンにはほんとに思い出がいっぱい。

高校生の時には、東京に憧れて、わざわざ原宿で服を買ったり、アメ横でブーツを買ったり。大学生、社会人、、遠距離恋愛や仲間を会うために何度も利用した。夜行往復なんていう狂ったようなこともふつうにしてた。

そうそう、彼女に振られて、東京への帰りの列車の中、ひとりで真っ暗な車窓を眺めながら、涙が止まらなかったこともあったっけ。

こんなこともあった。

すいてる車内の斜め前のボックスシートに、いつかのどっかの旅の途上で会った気がする女の子が乗ってて、それぞれ優雅に4人用のボックスシートを1人で使ってたこともあって、わざわざ話しかけにいくこともなかったんだけど(というか、ほんとに会ったことあるかどうかも曖昧だし)、おたがい何かチラチラ意識してて、、、

で、いつしか眠って、終点の東京駅の間際に起きたら、彼女はもうちょい手前(品川とか東京のどっか)で降りたらしく、もういなかったんだけど、、、

自分の席の窓際のちっさなテーブル(わかるかなー?😅)に、箱のアーモンドチョコレートと缶コーヒーが乗ってた。メモの置手紙と一緒に、、、

なんか今の時代の風潮だと「ありえない」というか、あやしいというか危険というか、かもだけど、なんとなくあの緩い時代のなかでは、それが素直に嬉しかった。

うん。いい時代だった。

大垣夜行」の廃止は、そんな昔ながらの「いい時代」がまたひとつ終わりを告げるということなのだろう。

コロナの影響もあるかもしれないが、それよりもやはり、「時代が変わった」ということなのだと思う。

寂しいけど、仕方ないのかな。

とりあえず大垣止まりっていう意味がよくわからんし、今、自分だって、関西方面に安く行くなら高速バスを選んじゃうかも。

うん。

でも、やっぱ寂しいな。

さよなら。ガキドン、、、

ありがとう。


ある意味、自分の青春の一ページだった。

。。。

いつかどっかの旅の途上で出会って、

ガキドンに偶然また乗り合わせた名前も知らない彼女がくれた、

その置手紙には、こう書いてあった。

たったひとこと。

「良い旅を!」


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【あなたの素敵な笑顔が忘れられない】 ~ストリートチルドレンとホームレスに届けたクリスマスギフト (#フィリピン・セブ #国際協力NGO #海外ボランティア #Merry Christmas and Happy New Year)


クリスマスイブ

フィリピン・セブ市街の
ストリートチルドレン
というか多くはストリートファミリーですが

ホームレスの方々に
食糧や衣服などの支援物資を配りました

通りには
飢えて力なく寝そべる人たちがたくさんいます

それでも笑顔で
ギフトを受け取ってくれました

街を歩きながら
手渡しで
心を込めて
クリスマスの贈り物を
配りました

お金や食べ物はもちろん必要ですが
同時に
思いやりや優しさ
そして

誰かがあなたを気にかけている

という思いが

困難な生活をしている人々の
それでも生きていくための
心の支えになるのだと思います

そんな気持ちを大切にしたいです

できることなら
どんなに厳しい状況にあっても
すべての人たちが
あたたかい気持ちに包まれて
クリスマスを迎えることが
できますように、、、

心から祈ります

Merry Christmas
and
Happy New Year ...

 


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結局、年賀状に間に合わなかったので、寒中見舞い😅 《ひとことつぶやき~日本よりのちょっとした日常》

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あけましておめでとうございます😊

え?今さら?

というわけで、年賀状としてこれ印刷して出したんだけど、もう年賀状の時期じゃないので、寒中見舞いにしたのであった😅

どうしてこんなことになったかとゆーと、某有名ネットプリント会社に、年賀状の印刷を頼んだんだけど、宛名も無料ってやつで。

でも、有料ソフトを持ってたりExcelが使いこなせないとなかなか対応できなくて、何度も不備で戻されて、結局、あきらめた🤣

んで、あらためて普通にポストカードとして印刷して、であがったのが、もう10日も数日過ぎてから。で。家でプリンターで宛名印刷したり、ひとこと書いたりして、出して、、、そろそろ届いてるんじゃないかと😅

あいかわらず世の中の進化についていけてない🤣

ん?てゆーか年賀状?まだそんなん出してんの?

て?🙄

い、いや、年賀状出すのけっこう好きだし、自分的には、日本の良い文化だと思うよー🙂

SNSでちょいちょいっと送るよりね!😁

まあいわゆる「年賀状だけの付き合い」の人もたくさんだけど😅

(そもそもふだんほとんど人に会ってないから、そうなるのも仕方ない😳)

でもって枚数も年々減って一時期の三分の一くらい。

寂しいね😢

そーいえばここ数年は、フィリピンからのエアメールを年賀状として送ってたけど、今年はコロナ渦で現地に行けなかったんで、日本から。

寂しいね🥺

まあ、なにはともあれ、

今年もよろしくお願いします😊

コロナもそうだけど、寒い日が続く中、風邪とかひかぬよう、日々の生活に気を付けて、くれぐれもご自愛ください。。

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【草の根の地道な支援を継続するということ】 ~ひとつひとつ、そのすべてが特別なことであり、同時に、日常としてそこにある。それが継続というもの。~ (#コロナ渦の国際協力NGO活動 #国際協力活動の目的は自立支援 #自己満足と自己顕示だけで終わらないボランティア #海外ボランティア)

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時々このブログでも書いていますが、新型コロナウィルスのパンデミックによるロックダウンが続くフィリピンにおいて、仕事もなく生活苦に陥っているスラムの人々のための緊急食糧支援活動を、NGOでは、5月中旬より行っています。

また、そのような、ブログや、またNGOYoutubeチャンネルで紹介しているような、スラムの緊急支援活動と共に、NGOでは、このロックダウン下においても、以前よりの活動を続けています。

ただ、コロナ渦の制限の中、もちろん通常(以前と同じよう)にはできません。

写真は、NGOのサポートを受けて学校に通っている子どもたちです。

このようにスラムの子どもの施設に定期的に集まって、学校の勉強の補習やまた社会勉強をしたり、生活指導したり、交流したりしています。現在、フィリピンは学校への通学・対面授業が停止され、オンラインか、もしくはプリント(家での宿題)を用いてのモジュラークラスが行われています。スラムの子どもたちは、ネット環境がないため、みんな家でプリントをやっています。教える先生がいないので、家族や友達と助け合いながら。

そんなサポートチャイルドの子どもたちの学習・就学支援、スラムの子どもの施設や子ども図書館の運営・整備、内戦の避難民キャンプ支援(現地ボランティアによる)、また、表立って報告している「イベント」の他、継続的に、いくつかのスラムでの炊き出しや文房具等の配布を行っています。

継続的な活動といえば、他にも医療支援や海外ボランティア・スタディツアー等もあります。医療支援活動は、コロナ渦の現状では、日本からのボランティアの医師の渡航が難しく、活動を縮小し、今行えることは、お金がなく病院に行けないスラムの病人に薬をあげたり、また、提携している公立病院の斡旋等です。そして、日本からのスタディツアーについては、実施再開の見通しがまったく立ちません。


そして、例えば、何度か紹介しました山岳スラムでの活動は、町から離れていることもあり、子どもたちを集めて食糧や文房具を配布したりできるのですが、NGOの現地事務所があるスラムは、市街地なので、やはり規制が厳しく、表立っての活動ができず、支援の方法も工夫して、個々や少人数でこの施設に来てもらったり、個々に家庭訪問したり、という形になっています。

子どもたちに文房具を配ったり、スラムの人々にお米を配ったりするのも、ひとりひとり施設に来てもらったり、困窮世帯の家々を訪ねて持っていったりしています。


日常的に続けているスラムの生活支援や環境整備にしても、各家庭に話を聞いて回ったり、様子をみて何らかの手助けをしたり、いわゆるソーシャルワークの分野になる地道な活動を、地域の生活に根差しながら、行っています。

ようするに普段の支援活動は「イベント」ではないのです。

なので、なんというか、特別な絵にはなりません。

ですので、すべてをアピールすることはあまりないのですが(というかできませんが)、このコロナ渦のロックダウンの最中でも、やはりそのような、草の根の活動はずっと続いています。

Youtubeチャンネルに動画をアップしていることもあり、よく似たような支援活動の動画が関連動画としてチャンネルに上がって来たりするのですが、それらによくあるのが、「感動!スラムで炊き出しをしてみた!」という感じの動画です。

もちろん、自分も支援活動をしていて、人々の喜びや子どもたちの笑顔に感動したりはしますが、それを恒常的に行っている立場から見ると、その「感動!」と打ち出す、特別なイベント感アピールに、何か違和感を感じてしまいます。

ひとつひとつが、それぞれにすべて特別なこと。そうに違いないのですが、、、なんて言ったらいいんだろう、、、うまく言えないのですが、動画のネタや「やってみた」感ではなく、現実的な活動の積み重ねの中で、こう思うのです。

大切なのは、「こんな感動的なことをした!」と一度きりの自己満足を派手にアピールすることではなく、現地に根差した、地道な活動を継続していくことなんだよな、って。

いや、もちろん、たとえそれが自己満足でも自己顕示欲でも、やらないよりはやった方がいい。それは確か。と、自分は思ってます。

だからべつにそれはそれでいい。

ただ、とりあえず自分は、この小さなカテゴリーで、誰にも注目されなくても、誰にも認められなくても、現地の人々の、その生活に寄り添いながら、草の根の地道な支援活動を続けていこうと思う。というだけのこと。

よくある学校建設ボランティアみたいなのにしても、建てるのはいいけど、その後のことは?という問題がよく言われます。というか、そもそも、今、自分らが運営しているスラムの子どもの施設は、そのような「建てっぱなしのほったらかし」で見捨てられた学校を利用していたりします。

と、、なんかいろいろ考えてるとキリがないし、とにかく自分でやれることを精一杯やっていくしかないのですが、これからも、表立った活動と、また、目立たない裏での活動を、現実と夢とのバランスをとりながら、まあ要するに、地道にひとつひとつ積み重ねていこうと思います。

なんだかんだと活動を続けてきて、支援して頂ける方も何人かいらっしゃり、これまでの自分たちだけの時よりも、支援活動が充実してきています。また、現地ボランティアの輪も少しずつ広がっています。そして、支援してきた子どもたちは、いつのまにか成長し、今度は「助ける」側で活動に参加してくれたりします。

そのような状況、そのすべてに感謝しながら、同時に、常に試行錯誤を、たとえ答えが見つからなくてもいつも自問自答を続けながら、「今その時必要な支援」を、「ただ与えるのではなく、現地の方々と共に分かち合う支援」を、これからも続けていきます。

様々な国際協力活動(海外ボランティアも含めて)とは自立支援を目的とするもので、「支援が当り前」になってはいけないと思うのですが、困難な状況におかれ苦しむ人々の生活を支えるために、「当たり前であるべき支援」を続けていく、という、そんな矛盾さえも抱えながら、それでも、今できるせいいっぱいの気持ちを行動に移し、今後も、現地の生活に根差した、草の根の地道な活動を継続して行っていきます。

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JOHNです。よろしくお願いします。
海外のことや日本のこと、世界の現実、経済や政治、ポエムまで、いろいろ書いてます😅
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自分は、国際協力NGO「HOPE~ハロハロオアシス」の代表を務めています。(詳しくは下記「自己紹介・NGO連絡先」リンクをご参照お願い致します。)
あ。「YUMEKAKE」というのは、NGOの活動のプロジェクト名(YUMEKAKE PROJECT)です。世界の子どもたちの、笑顔と希望と夢の架け橋になりたい、という意味です。

このブログでは、国際協力活動を通しての視点で、海外また国内の、様々な問題や出来事、スラムや難民キャンプの人々の生活、NGOの活動の様子等を、時に真面目に、深く、時にゆるく、書いていきたいと思います。
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【フィリピン・セブ・シヌログ祭り、その概要と由来と歴史】 ~そして、フィリピン最大のお祭りシヌログも、コロナ渦の今年はオンライン、、、 (#サントニーニョとマゼランクロス #マゼランとスペインとフィリピンとキリスト教 #新型コロナウィルスとイベント・フェスティバル)

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シヌログ祭り(Sinulog Festival)の時期がやってきた。

NGOの現地事務所があるフィリピン・セブでの最大のお祭り。
というか、フィリピンでも最大級のフェスティバルであり、毎年フィリピン全土や海外から400万人もの来場者が集まると言われる。

だが。

なんてっても今、世界はコロナ渦、フィリピンは世界最長のロックダウンを続けてる。
お祭り好きのフィリピン人も、さすがに今年は、シヌログもオンライン開催ということだ。
無観客のパレードを中継したりとか。

ところで、シヌログとは何かというと。

トップの写真は今日。

子どもが抱えてる像が、セブの守護神、サントニーニョ(Santo Niño)。

シヌログは、キリストの子ども時代を指すこのサントニーニョを讃えるお祭り。
踊り子たちがサントニーニョ像を抱えて踊りながらセブの街を練り歩く。

それぞれのグループのダンスはカテゴリー毎や全体でのコンテストにもなってる。

サントニーニョ像は、1521年にポルトガル人のマゼランによってセブにもたらされた。それ以来、サントニーニョ像はフィリピンにおけるカトリックのシンボルとして、人々の信仰の対象となってきた。

幾度となるスペインとの戦争で、沢山の建築物や村が燃えていく中、このサントニーニョ像が無事だったことで「奇跡を呼ぶ像」として信仰を集めることになり、その像は、今でもサントニーニョ教会に祀られている。

そして、その奇跡の像サントニーニョを祝うのがシヌログ祭というわけだ。毎年、1月の第3日曜日にシヌログ祭りのハイライト、「グランドパレード」が実施されるのだが、祭りそのものは、それより1週間前からスタートし、フィリピン最古の教会であるサントニーニョ教会でのミサをはじめとする様々な催しが実施される。

ようするにこの土日含めて9日間、街ではなんやかやとパレードやイベントが行われてる。


10月にはクリスマスモードになり、イベント漬けの12月、クリスマスが終わってニューイヤー、そしてすぐにまたシヌログ、、、

年末年始の長期、現地に居てローカル生活してると、この時期、毎日教会にばっか行ってるのはまだしも、イベントやらダンスコンテストやらパレードの練習やらクリスマス会やら親戚の集まりやら、「なんか遊んでばっかだなあ、この人たち」と、浮かれ続けるセブのフィリピン人に、しょうじき呆れたりもする(これくらいの熱意で仕事もしろよ!って)のだが、まあ、お祭り好きのフィリピン人だから仕方ない😅

あ。というか、クリスマスとかシヌログとか、そもそも宗教行事であって、遊びじゃないか😲

んで、とにもかくにも、いろんな趣向を凝らした仮装とかで踊ってパレードしてるんだけど、めっちゃ踊ってるのは、フィリピン人がダンス好きだからっていうことじゃなく(たぶん😅)、大航海時代、スペインからフィリピンにキリスト教が伝わって、マゼランからセブのフアナ女王がサントニーニョ像をもらった時(そういえば、この様子が、教会の近くの「マゼランクロス」に書かれてるよね。)、その像を持って踊ったことがルーツになってる(らしい、、)

そして、シヌログという言葉はセブアノ語の「Sulog」が語源。「Sulog」は「川の流れのような動き」を意味する。また、川の流れのような動きとは、身体を前後に動かすシヌログダンスを表していて、グループ毎に様々な趣向を凝らしらダンスパレードも、その基本型はやはり「Sulog」だ。

シヌログの間、パレードや観客、屋台にイベント、通りは人であふれ、大変なことになってる。


だからもちろん規制もあって、交通規制はもちろん、アルコール禁止とか、携帯電話の電波制限(テロの遠隔操作対策として近年行われてる)なんかもある。

また、フィリピンに数日いると、その明るくフレンドリーで世話好きな人柄から、「フィリピン人ってみんないい人!」って思いがちだが、やはり人混みの中には悪い人もいて、スリや置き引きとかには注意が必要。

て、シヌログについて書いてみたけど、今年は、例えば観客席や目立った屋台もない模様。イベントも縮小される。

とはいえ、やはり宗教行事として、サントニーニョ教会周辺で、催し(ダンスとかも)は行われており、また教会ではミサも行われている(もちろん感染対策はした上でだけど)ため、それなりの人出はあると思われるが。

花火とかもあがるかな?クリスマスやニューイヤーはやってたし。

なんというか、コロナコロナ騒いでロックダウンとかしてるわりには、意識が緩いとかがあって、気が付いてみたら蜜になってるのがフィリピン人。特に宗教が絡むと意味不明。「コロナが早く収まるようにみんなで教会に行く」みたいな。

でもまあ、今年は1枚目の写真のように、ステイホームでサントニーニョ像に祈る、っていうのが基本形(であってほしい)。特に子どもはまだ外出禁止(ということになってる)だし。

ちなみに2枚目からのお祭りの写真は、去年の様子。

なんかもう夢のような光景、というか、にぎやかだった。

ん?

でも、ちょい待てよ。

去年の1月って、たぶんもうパンデミックは始まってたよね😳

といっても、世界はまだぜんぜん他人事だったけど。

ちょうどこの頃、日本ではクルーズ船(ダイヤモンドプリンセス号)でのクラスターが話題になってた。

ね?ヒトゴト気分でTVのニュース見てたでしょ?

でも怖いよね。

中国の武漢での感染爆発はその前年の12月からで、その数カ月後には、世界的なパンデミックとなった新型コロナウィルス、、、シヌログを例年通りやって大騒ぎしてたこの頃には、きっともう密かにウィルスの蔓延が始まってたはず、と考えると、、、😱

といっても日本は日本で、何の規制もせずに中国から春節で大量に観光客がやってきてたし、オリンピックの延期なんて考えもしなかった。

で、その後の展開は言うまでもないだろう。

下部で紹介してる「ロックダウンからの脱出」で詳しく書いたけど、フィリピンでは、3月の初め頃、まだ教会でふつうにミサやってた。

しょうじきびっくりした。

しかし、その数日後にはいきなりのロックダウン。

そして今に至る、、、

日本は再度の緊急事態宣言、フィリピンは地域毎のロックダウン規制を続け、世界もまた再ロックダウンに動き、ワクチンの効果はまだはっきりせず、おまけに変異種が次々と発生し、しかし人々の意識は慣れ、緩み、パンデミックには終わりが見えない。

なんというか、

当たり前の日常が早く戻ってくることを願うのか、

それとももう「当たり前」が変わってしまったことを受け入れるべきなのか、

考えすぎ、気にし過ぎは、疲れちゃうし、

ようするに、とりあえず今では「当たり前」になった注意をしながら、

なんとか乗り越え、いや、日本政府のやり方に従うなら、「やり過ごし」ていこう。

なにはともあれ、願わずにはいられない。

少しでも早くコロナが収束して、

めんどいことがなくなって、

外国にも行けるようになって、

そして、

来年はセブがまた、にぎやかなシヌログ祭りで盛り上がれますように、、、

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あ。「YUMEKAKE」というのは、NGOの活動のプロジェクト名(YUMEKAKE PROJECT)です。世界の子どもたちの、笑顔と希望と夢の架け橋になりたい、という意味です。

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