スラムの片隅から世界を、、【YUMEKAKE/JOHN's diary】

国際協力活動のなかでのマジメな話からゆる~い話まで/海外から日本から

「ガキドン」の思い出、、、 大垣夜行運行終了。こうしてまたひとつ、「あの頃」が、「古き良き時代」が終わりを告げる。。 (#ムーンライトながら終了 #鉄道マニア #乗り鉄 #大垣夜行の歴史に幕)

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1月22日。

臨時快速「ムーンライトながら」の廃止が、JRグループにより、正式発表された。

自分にとっては、その前身の「大垣夜行」のイメージが強い。

東京~大垣(岐阜県)を普通列車で結ぶ、この列車は、旅人のあいだで、「ガキドン」と呼ばれ、親しまれていた。

大垣行き鈍行、ってこと😁

寝台列車ではない普通座席の夜行列車。特急とかではないので、ふつうに通勤客も利用する。毎日の夜行だけでなく、シーズンには臨時便が増加されたりもした。

いつしかそれは「ムーンライトながら」となり、車両もオシャレというかだいぶ乗り心地がよくなり、一部指定席、その後、全指定、また、追加の臨時便ではなく、逆にシーズンにしか運行されない臨時列車になっていった。

そして、昨年から今春にかけては、新型コロナウィルスの影響で、その臨時便さえ運休。そんな状態の中、とうとう、1968年の運行開始からの、半世紀以上に渡る、その歴史に幕が閉ざされることになった。

高校まで愛知に住んでたり、高校卒業後に東京で一人暮らししたり、また、旅が好きだったこともあり、帰省に、旅に、友に会いに、、この列車には本当にたくさん、お世話になったものだった。

なんてっても青春18切符で乗れる!😍

決して鉄っちゃん(今でいう「乗り鉄」とか鉄道マニア?鉄道オタク?)ではなかった(と思う😅)けど、ずいぶん頻繁に利用してた。

シーズンは混むんで、何時間も前から並んだり、ぜんぜん座れなくて、写真みたく通路に座ったり、寝転んだり。

逆に座ったら座ったでトイレとか行くのが大変だったり。

こんな修羅場のような列車の光景は日本ではもう見られないのだろう🥺

もちろんコロナ渦ではありえない😅

ムーンライトながら世代にはわからないかもだけど、大垣夜行時代は、青緑の直角ボックスシートで、寝てると体がギシギシいうし、お尻は痛くなるし、足元からもわ~と出てくる暖房は不快だし、な夜行列車、、、

でも、懐かしいな🙂

早さより快適さより利便性より、とにかく値段重視だったあの頃、今思うと、素敵な旅をたくさんした。

文庫本を片手に、ボロボロのリュックを背負って、列車や汽車でいろんなとこに行って、たくさんの人に出会い(時には夜行列車で知り合ってその後一緒に旅したりもしたりも)、かけがえのない経験をした。

うん、なんてゆーか、現代のこんなネット時代にはありえないような、ある意味赴きのある「旅人」だった。

そんな旅人がたくさんいた。あの頃、、、

ガキドンにはほんとに思い出がいっぱい。

高校生の時には、東京に憧れて、わざわざ原宿で服を買ったり、アメ横でブーツを買ったり。大学生、社会人、、遠距離恋愛や仲間を会うために何度も利用した。夜行往復なんていう狂ったようなこともふつうにしてた。

そうそう、彼女に振られて、東京への帰りの列車の中、ひとりで真っ暗な車窓を眺めながら、涙が止まらなかったこともあったっけ。

こんなこともあった。

すいてる車内の斜め前のボックスシートに、いつかのどっかの旅の途上で会った気がする女の子が乗ってて、それぞれ優雅に4人用のボックスシートを1人で使ってたこともあって、わざわざ話しかけにいくこともなかったんだけど(というか、ほんとに会ったことあるかどうかも曖昧だし)、おたがい何かチラチラ意識してて、、、

で、いつしか眠って、終点の東京駅の間際に起きたら、彼女はもうちょい手前(品川とか東京のどっか)で降りたらしく、もういなかったんだけど、、、

自分の席の窓際のちっさなテーブル(わかるかなー?😅)に、箱のアーモンドチョコレートと缶コーヒーが乗ってた。メモの置手紙と一緒に、、、

なんか今の時代の風潮だと「ありえない」というか、あやしいというか危険というか、かもだけど、なんとなくあの緩い時代のなかでは、それが素直に嬉しかった。

うん。いい時代だった。

大垣夜行」の廃止は、そんな昔ながらの「いい時代」がまたひとつ終わりを告げるということなのだろう。

コロナの影響もあるかもしれないが、それよりもやはり、「時代が変わった」ということなのだと思う。

寂しいけど、仕方ないのかな。

とりあえず大垣止まりっていう意味がよくわからんし、今、自分だって、関西方面に安く行くなら高速バスを選んじゃうかも。

うん。

でも、やっぱ寂しいな。

さよなら。ガキドン、、、

ありがとう。


ある意味、自分の青春の一ページだった。

。。。

いつかどっかの旅の途上で出会って、

ガキドンに偶然また乗り合わせた名前も知らない彼女がくれた、

その置手紙には、こう書いてあった。

たったひとこと。

「良い旅を!」


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自分は、国際協力NGO「HOPE~ハロハロオアシス」の代表を務めています。(詳しくは下記「自己紹介・NGO連絡先」リンクをご参照お願い致します。)
あ。「YUMEKAKE」というのは、NGOの活動のプロジェクト名(YUMEKAKE PROJECT)です。世界の子どもたちの、笑顔と希望と夢の架け橋になりたい、という意味です。

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