スラムの片隅から世界を、、【YUMEKAKE/JOHN's diary】

国際協力活動のなかでのマジメな話からゆる~い話まで/海外から日本から

「内戦の街よりの便り」~イスラム武装勢力との内戦による避難民キャンプの支援をしている、フィリピンミンダナオ島マラウィより

#差別や偏見は人間が作り出したもの #イスラム過激派アブサヤフISイスラム国 #アメリ同時多発テロビンラディンアルカイダ #アフガニスタンタリバン政権 #立場で異なる正義の意味 #自爆テロとジハードと殉教者

NGOでは、フィリピン・ミンダナオ島、マラウィ市とイリガン市において、政府軍とイスラム武装勢力による内戦からの避難民のシェルターの支援活動をしている。
(※詳しくは上記リンクのブログより)

グラウンドゼロと呼ばれる内戦の中心地は、街の中心部を流れる川の向こうになり、激しい戦闘により破壊された街並みや瓦礫に溢れ、また、地雷の危険性もあり、内戦が落ち着いた後も、復興への道のりはままならない状態だが、川のこちら側では、おおよそ人々の生活は元通りに戻っている。圧倒的なキリスト教国のフィリピンにおいて、ムスリムが多いこの地域では、ヒジャブを被った女性が通りを歩く姿も多く見られる。

アブサヤフやIS(イスラム国)のイスラム過激派の活動は未だにくすぶり、テロや誘拐の危険性もある。自分がマラウィへ行く際も、軍の息がかかった特別なドライバーと車を雇い、途中の山の中の峠とかでは、車から外へ出ることも許されない。

その避難民キャンプにおいて、今も仮設テントで生活をするおばあちゃんがいる。マラウィの激戦区から隣のイリガンに逃げてきた。そこで未だに避難生活を送っている。

おばあちゃんが、このあいだマラウィの親戚の家に用事があって行った時、市街地で、騒ぎが起こった。親戚の家からすぐの通りのアパートで、隠れていたイスラム武装勢力の残党が発見され、軍が出動し、夜中にちょっとした銃撃戦があり、連行されたのだ。未だに、そのような危険性のある地域である。その時の写真を自分に送ってきた。

今ここでイスラム武装勢力が悪だとか言うつもりはない。誤解を恐れずに言うと、個人的には、西側の上から目線の権威主義の方が、タチが悪いと思っている。この地球上で、今も絶え間なく起こる紛争や宗教的・民族的対立も、結局そこから端を発しているんじゃないか、と思う。

しかし、やはり無差別テロは間違った行為だと思う。戦争もだ。今のロシアのウクライナ侵攻然り。理由はさておき、テロも戦争もとどのつまり、ただの殺人行為だ。どんな大義名分があろうと、許されるべきことではない。

だが、そこには大義や理由が存在することもある。

それは立場が変われば正当化され、正義にもなり得る。

そしてまた問題を複雑化する。

近辺ではこのような破壊的な大規模な戦闘が起きる前からも、ずっとイスラム過激派と政府軍の衝突があり、度々、外国人の誘拐事件やテロもあった。

ここマラウィでは、イスラム教徒の方がキリスト教徒よりも多いこともあり、一見、キリスト教徒とムスリムが平和に共存しているように見えた。しかし、いくらかのセンシティブな場面で、やはりキリスト教優位の差別もあったのかもしれない。

それはイスラム勢力の不満となり、政府への反乱が続いていたのだろう。そして、国際情勢も要因となり、ある日それは爆発した。そいうことなのだろう。

しかし、ひとつの事実もある。それは確かに(一部の)イスラム教徒の武力行使による政府への反乱、戦争だが、戦闘により家を破壊され、故郷を追われて避難せざるを得なくなったのも、やはりイスラム教徒の方たちなのだ。

単純なようで単純じゃない。それぞれの立場や感情を考えれば考えるほど、複雑になってくる。それも、味方とか敵が目の前の相手だけじゃない。それが国際社会なのか。

ところで、


先日、こんな記事を目にした。9・11アメリ同時多発テロ(2001年)。世界貿易センタービルへのテロを決行したアルカイダに協力した、アフガニスタンイスラム主義組織タリバン。まだ記憶に新しい、バイデン政権が2021年4月末に駐留米軍の撤退を始めてから攻勢を強めたタリバンは、首都カブールを制圧し政権を奪取し、今に至る。

それはアフガニスタンのとある小さな村での話。タリバンにおいて、多くの罪なき民衆をも巻き込み自爆テロを行い、その命を失った者は、貧しい村の英雄となり、また、一方で、組織(自爆テロを行う任務を負う部隊)に属しながらも、テロを行うことなく生きながらえた者は、その機会を逸したことを悔やみ、こう語る。

「上官から入隊が決まったと知らされたときには、神に選ばれたのだとうれしかった。ジハード(聖戦)に参加するだけでは満足できなかった。世界中のイスラム教徒、そして自分の心が満たされる作戦を実行しなければと思った」「われわれはアラー(神)の愛のためには、命などどうでもよかった。殉教によって、一刻も早くアラーに近づきたかった」

国や宗教によって、正義の意味合いが違う。
彼らにとって、自爆テロによって命を失うことは殉教者になることなのだ。

無差別テロとジハードを一緒くたにされたら、いつまで経っても人類に平和はこない。
そして、もしかしたらそれ以前に、大国のエゴによる物理的・精神的な侵略が、異文化を受けいれる余裕を失くしてしまっている。

違いはもともとそこにあっても、差別や偏見は初めからあったものではなく、我々ろくでもない人類が作り出したものなのだ。hopehalohalooasis.wixsite.com

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自分は、国際協力NGO「HOPE~ハロハロオアシス」の代表を務めています。(詳しくは下記「自己紹介・NGO連絡先」リンクをご参照お願い致します。) あ。「YUMEKAKE」というのは、NGOの活動のプロジェクト名(YUMEKAKE PROJECT)です。世界の子どもたちの、笑顔と希望と夢の架け橋になりたい、という意味です。
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