スラムの片隅から世界を、、【YUMEKAKE/JOHN's diary】

国際協力活動のなかでのマジメな話からゆる~い話まで/海外から日本から

「もちろんいちばん怖いのは人の心です」 ~まったく霊感はないけど怖い話は好きです。あ。本文はそういう類いの怖い話ではありません、、(;・∀・) (#教育実習の思い出 #ゴキブリ踏んだ #レバノン大爆発 #インド洋モーリシャス沖原油流出座礁事故)

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今週のお題「怖い話」

※※ ※※ ※※ ※※

教育実習を母校の高校で行った。(だいぶ昔)
科目が国語ということもあり、自分なりに「学校の勉強」の可能性を広げることを考えながら授業をした。
早い話が、数学や英語とか、あまりに脱線し過ぎると、わけわかんないけど、
国語だったら、例えば、ただの雑談でさえ、思考力向上や文章構築の訓練になるってこじつけられるし。
というか、自分的には、国語の長文問題とかに明確な答えはないと思ってる。
作者の意図がわかっているなら別だが、この物語が何を言おうとしているのか、なんて、捉え方は人ぞれぞれだ。それでいい。
ただ、試験は別だ。
出題者の意向をくまなければならない。
だから、試験で点をとる解答を作るテクニックと、本来の「国語」という授業で学ぶこととは別だ、と考えていた。
感受性や考える力をいちばん育てられる可能性があるのが、国語の授業だと。

と、いういまいち抽象的な話は置いといて、教育実習で、その日の題材の作者が、幽霊の研究(?)で有名で、少しそれに触れてあった。
で、とりあえず脱線してみた。

「幽霊っていえば、怖い話なんだけど、、、今、オレ、学校の近くの古いアパートに住んでるんだけど、そこってずっと使ってなかったのを、知り合いのツテで開けてもらって、んで、使わせてもらってるんだよね。だから、やっぱ虫とかもいっぱいいて、、、。昨日の夜さあ、のどが渇いて、冷蔵庫のジュース飲もうと思って、一階の台所に行ったんだけど、、、そしたら、暗闇の中で、ムニュっていって、なんか踏んだんよ、、、」

「で、ん??って思って、嫌な予感がして電気点けてみたら、、、」

「ゴキブリだった、、、」

あれ?なんか違う?でもまあ、

「怖いしょー???」

という導入(?)で、

「みんなもなんか怖い話とかある?」

て聞いて、、、まあ、2~3個ちょっとした話をしてもらって、場をほぐして本格的な授業に、、、ってつもりだったんだけど、

これがまた怪談話がめっちゃ盛り上がって、ほとんどは「は?(;^ω^)」のやつばだったんだけど、中にはほんとに怖いのもあって、でもって、普段はおとなしくて、授業中に手を上げることなんかない女子が、すごいちゃんとした(?)怪談(経験談)を話してくれたりして、

で、結局、一時間終わってしまった😅

な、なんだかよくわからん思い出はさておき、

最近、聞いた(知った)怖い話。

こないだレバノンで大爆発があったしょ?

ちなみにレバノンもやっぱりコロナで大変で、ロックダウンもしてたんだけど、とりあえず一度感染が落ち着いて、ロックダウンを解除して、、、

なんだけど、やっぱりまた感染者が増え始めて(どこの国も同じだねー)、7月末から再度のロックダウンが始まって、

でも、政府の緩和措置で、8/4,5の二日間だけ、一度、ロックダウンがお休み(なんか変な表現だけど(^^;))ということになったんだよね。

そして、息の詰まる生活から、たった二日間だけど、解放された人々は、やはりその二日間だけ営業されたレストランで食事を楽しんだり、ショップで買い物したり、通りを歩いたりしてた。せめてこの二日間を楽しもうと。がまんし続けたストレスを少しでも発散しようと。

そしたら、

8/4の夕方。死傷者5000人を越えるあの大爆発が起きた。

いろいろ考えらえる。

「またすぐロックダウンになる前に(爆発した)倉庫の修繕をしておこうと、急いでやって注意力が散漫になってて、作業員に不注意によって中の薬品に引火した、という、結局はコロナに起因する事故。」

「この二日間、まちがいなく緩む人々や社会を狙って、起こされた何らかの意図を持ったテロ行為。」

「この日に事故が起きたのも、ほんとうにほんとうにただの偶然」

真相はわからない。

もうひとつ違う話を。

インド洋、モーリシャス沖で座礁し、大量の重油を流出させた事故。

危険区域だとわかっていた場所に、貨物船はわざわざ本来の航路を外れ向かっている。その原因として、乗組員がこんな供述をしているという。

「Wi-Fiに接続するために陸に近付いた」

と。

なんというか、


もしそれが本当なら、やはりもうそれは偶発的な事故ではない。

人災だ。

また、この事故によって、多くの動植物が命を奪われただろう。
幸い人間の死者は今のところいない(二次災害がこれから起きるかもしれないが)。
と、いうわけで、この事故・事件は、業務上過失致死傷にもならない。

人間の傲慢さが恐ろしい。

意識していても無意識でも、

悪意であっても、そうでなくても、

単なる不注意や油断であっても、

人の心のどこかに巣くう闇が、大きな事件や事故に繋がることがある。

それはもちろん誰にでもある。

むしろ、自分のせいで、周りで何か特筆すべきネガティブなことが、まだ起きてないことの方が、奇跡に近いことなのかもしれない。

いや、実は知らないうちに何か起こしてるのかもしれない。

それほど、自分らの心には、

人の心には、

どうしようもなく深く暗い闇が、

当たり前のように巣くっている、、、

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海外のことや日本のこと、世界の現実、経済や政治、ポエムまで、いろいろ書いてます😅
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自分は、国際協力NGO「HOPE~ハロハロオアシス」の代表を務めています。(詳しくは下記「自己紹介・NGO連絡先」リンクをご参照お願い致します。)
あ。「YUMEKAKE」というのは、NGOの活動のプロジェクト名(YUMEKAKE PROJECT)です。世界の子どもたちの、笑顔と希望と夢の架け橋になりたい、という意味です。

このブログでは、国際協力活動を通しての視点で、海外また国内の、様々な問題や出来事、スラムや難民キャンプの人々の生活、NGOの活動の様子等を、時に真面目に、深く、時にゆるく、書いていきたいと思います。 そして少しでも、皆さまに、世界の様々な現実を知ってもらえるきっかけを届けたいと思っています。

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「マスクいる?いらない?てゆーか今さらだけど、マスクの意味について、もいっかい確認してみよっか」 ~そして、、新型コロナウィルスに振り回され過ぎて、いつのまにか見失ってる身の回りの大切なことはないですか? (#マスク反対運動 #移らない対策と移さない努力 #新型コロナウィルス予防にマスクは意味はない? #フィリピン人のここが好き)

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ここんとこ欧米でマスク反対運動がちょろちょろ盛り上がってる。

自由の侵害だと。

ふむふむ。

マスクなんてしてたってウィルス予防にならないんだから、自分が必要と思う時だけすればいいと。

ふむふむふむ。

で?

だから?🙄

とりあえず日本では、ふつうにTVでニュースを見てれば、もう2月からずっと、「マスクは感染予防のためじゃなくて、もしも自分が無症状のポジティブだった場合の感染抑止としては意味がある。」ていう話をしてるんだけど、今さらこんなふうな話、、、個人の自由とかってなるのって、世間一般的には、あんまし浸透してないってことなのかな?

でもって、そういう日本人の「他人に迷惑をかけたくない」という意識さえも、個人の自由の中に含まれるってゆーことかな?

というか、今になってこういう論調で盛り上がってんなら、もともとそもそもウィルスについての知識が薄かったってことだよねえ。

でもってそういう舐めた態度が、それなりに医療環境も整ってて、衛生環境も良かったりする欧米のこじゃれた国々で、パンデミックを引き起こしたってことじゃないのかな?

なんて思ったりもするんだけど、どうなんだろ。

てゆーか無意味じゃないし。少なくとも、した方がしないよりもいいことくらいは、いちおう言えてるんじゃない?違う?

まあ、それくらいだと、マスク着用によって起きる不都合とのてんびんになっちゃうけど。

というか、日本もあんまし舐めたことばっかしてると、大変なことになるかもしれないよー😑

でさあ、、、

人の迷惑になるかもしれないのに、個人の自由っていう考え方には賛成できないなあ、、、
まあ、確かに、「いつまでマスクしてればいーわけ?」っては思うけどさ。

したい人はすればいい、っていうのが自然になる日はいつになったら来るんだろね。

まだしばらく先かなー。

それとももうそんな日は来ないのかなー。

それは嫌だなあ。

やっぱマスクうざい😅

なんて甘えたこと言ってるけど、

未だ世界最長ロックダウン中のフィリピンは、マスクどころか、フェイスシールド着用も義務化される。

公共の場とか乗り物とかショッピングモールや銀行とかとか。

いや~マジ大変だ。

で、日本は今、マスクと熱中症の危険の話がよくされてるけど、もちろん暑い「フィリピンでは?」と現地の人に聞いてみたら、、、

「なんも」

とゆーことらしい😅

まあ、写真のように、そんな状況でも、なんか笑いに変えてしまうフィリピン人の、そゆーとこが好きだったりするけど!🤣

そして、フェイスシールドが義務化ってことになれば、日本のアベノマスクで最近流行ってるよーに、やっぱりオシャレにデコっちゃうのである😁

んで、

熱中症といえば、日本では、毎日、熱中症で病院に搬送されたり、また死者の発生のニュースを目にするようになってきた。

東南アジア等では、デング熱の流行がちらほら聞こえてくる。

アフリカのコンゴでは、コロナに加えて、エボラ出血熱の感染がまた拡大しつつある。

そしてレバノンの大爆発にモーリシャス沖での重油流出、環境破壊。

ちょい前に話題になったバッタの大発生も、日本では他人事でも、別に収まってるわけではない。

それが地球温暖化によるものかどうかはわからないけど、日本においてさえ、毎年のように自然災害や異常気象が襲ってくる。

小さな紛争は絶え間なく起き、米中冷戦等の国際問題も深刻だ。シリアの内戦だって、イスラム過激派のテロだって、終息なんかしていない。

例えば、歯が痛かったのに、盲腸になってそっちの方が大変で、歯痛は忘れてしまうように、たとえその時は盲腸の手術が先でも、虫歯が治ったわけじゃないし、
また、もしかしたら、その虫歯は、この先もっとヤバい結果を引き起こすことだってある。

そんなふうに、コロナは確かに大変だけど、身の回りにある(間接的に関係することも)世の中の様々な出来事は、もしかしたらコロナ以上に気を付け、対策を講じなければならないことが、たくさんある。

やっぱりコロナは危険だと思う。充分注意しなければならない。
ただ、コロナだけで世の中回ってるわけではない。
コロナの恐怖に怯えるのはOKというか、怯えるべきだろう。
だけど、必要以上に怯え、パニックモードによりちょっとした真実を見失い、個人や社会がそれにしか目がいかなくなり、そのあいだにも様々な要因で、地球の症状は深刻な状態になっていっているかもしれない。

そして、いつのまにか人の心をも蝕まわれているかもしれない。

こんな中でも、自分自身を見失わずに、広い視野で世の中を総括的に見る意識を忘れないでいたい。

あ。

マスク日焼け写真はアプリ!😂
知り合いがやってて、やりたくなっただけ!でもアプリの扱いに慣れてないんで、どうもうまくいかないのであった😅

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「ロックダウンからの脱出(Ⅳ)」 ~フィリピン・セブ島ー差別、監視、軟禁、、3・21、あの日、新型コロナウィルスにより突如封鎖された島を、ボクらは脱出した、、 (#アジア系差別とヘイトクライム #ウィルスの次にやってくるもの #本当に怖いのは人の心)

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ロックダウン、、、それは都市封鎖と訳されるが、この時、フィリピンは、新型コロナウィルス感染抑止のために、世界の中でも先駆けて、国そのものをロックダウンした。

それゆえに、フライトのキャンセルが生じ、航空券が無効になった。

後にいくらかの(支払金額からみたらほんとに少額の)払い戻し手続きができたのだが、この時点では、ただフライトがキャンセルされただけで、代替え便があるとかいうわけでもなく、事実上、ただただ「このままじゃ帰国できませんよ」と一方的な宣告を受けただけだ。

とにもかくにも状況を把握しよう、

と、翌日、空港のフィリピン航空のオフィスに直接出向いた。

ボランティアのメンバーは、NGOのサポートチャイルドに世話を頼んで、大型ショッピングモールへ行き(この頃はまだオープンしていた)、一緒に過ごしてもらった。

現地スタッフのひとりと昼前に空港に行ったのだが、そこには既にたくさんの、路頭に迷った外国人が詰めかけていた。

そりゃそうだ。みんな、昨日いきなり、フライトキャンセルされて、どうにかしようとここへやってきたのだ。

ただ、こういう時にやはり日本人はどう立ち回ったらいいか不得手なのか、日本人はほとんどいなかった。

ついさっきまでビーチで遊んでて、飛行機に乗りにきたんだけど、飛んでないよ?なんていうお気楽な感じの日本人観光客はいたけど(^^;)

だが、ここ、セブには、観光客もそうだが、とても多くの日本からの短期語学留学に来た学生とかがいる。それは、「突然のロックダウンにより取り残された大量の日本人」として、後々大きな話題にもなる。

自分らはまだ、帰国予定日が先だったので、この時点では、「今後の見通しの確認」という感じだったのだが、今日明日のフライトだった人たちは、殺気立っている。

オフィスに詰めかけた人たちで、そこはちょっとしたパニックになっていた。

なにはともあれ整理券をもらい、だがオフィス内にも入れず、外でぼーと順番を待つ。

午前中に来たのに、結局、待ってるだけで夜になってしまう。

やっと、やっと順番が回ってきて、航空会社のスタッフに状況を聞く。

その返答は、

「明日はとりあえず臨時便が飛ぶ予定。でも、その先はまだわからない。」

だった。

いちおうまだ一週間程、滞在日程が残っていることもあり、いきなり明日のフライトの話を進めるわけにはいかなかった。他のメンバーにも相談しなければと思ったし。

しかし、それ以上のオファーはなかった。

うーんうーん、、と困っていると、フィリピン航空スタッフが、それなら仕方ないわねえ、、という感じで、ある提案をしてきた。

「まだ未定だけど、今週末(土曜日)に臨時便が飛ぶかもしれないので、今、その搭乗予約名簿を作ってるから、いちおうここに名前を書いておく?」

というものだ。

なんか、フィリピンとはそういう国だとは充分わかってはいるけど、、、後先考えずに突然ロックダウンして、何の補償も代替え案もなくフライトをキャンセルして、窓口で粘ったら、これまた曖昧な提案をしてきて、、、なにもかもが無計画で無責任で行き当たりばったりな感じがするが、とりあえずどうしようもない。

土曜日なら、まだ日にちがあるし、とりあえず名簿を作るだけだから、ということで、その予約名簿に名前を書いた。
(とはいえ、結局それも無効になったと後で知ったんだけど、、、それもまたフィリピン(-_-;))

そんなこんなで、一日空港にいて、ほとんど身の無い時間を過ごし、疲れ果て、夜間外出制限の9時に引っかかるギリギリの時間に、なんとか空港を出た。

で、宿に帰ってから、ボランティアのみんなに事情を話して、

「少し日程が早まったけど、今、こんな状況なので、土曜日に帰国しよう」と、いうことになった。

この時はまだ、この甘すぎる考えに気付いていなかった。

だが、、、

その夜もまた、ほとんど寝る時間もなく、できる限りの情報を集め、諸機関や現地の知人とも相談し、あれやこれやと動いていた。

そんな中で、なんとかみんなには、自分らが「差別されて監禁されてる」っていうことを、気にしないでもらえるよう、あまり切羽詰まった感は出さないでいたんだけど、実際はけっこう裏で対策をしていた。

しょうじき、現地スタッフはもうコロナが怖いのと、あと、フィリピン人は上からの命令に弱く、ぜんぜん動くことができなかったので、自分ひとりで手を尽くし、フィリピン人の友だちや、フィリピン在住の日本人や、大使館とかと連絡を取りながら、打開策を試行錯誤していた。

政府からのアナウンスは日々、ころころ変わるのだが、確実に悪い方向に行っている。

既に、フィリピン国内の都市間移動も禁止。

また、外国からの入国もすべて禁止になった。(外国人の出国については、まだ禁止にはなっていなかった。飛行機が次々とキャンセルになっていたので、事実上、どうにもならない状態には違いないが。)

世界の感染拡大状況もどんどん悪くなる。COVID-19はもうしばらく止まらないだろう。

日本だっていつ入国制限に踏み切るかわからない。

フィリピン政府や日本大使館からの情報も錯そうし、何が何だかわからない。

このままここにいても、もちろん軟禁状態は続く。

ボランティアのみんなの、大きくなる不安な気持ちが、痛いほど伝わってくる。

しょうじき、自分はどうだっていい。

このまましばらく日本に帰れなくなっても構わない。

でも、

このボランティアの学生たちは、なんとか無事に日本に帰さなきゃ、、、連れて行かなきゃ、、、

それに、よく考えてみたら、昨日の名簿のやつだって、どれくらい当てにしていいのかわからない。

それがフィリピンじゃん?今までそうやって何度も痛い目にあってきたじゃん?

日に日に悪くなっていく状況。世界も、この国も。

もうしばらくは良くはならないだろう。

錯そうするたくさんの不確かな情報。

何を信じていいかはわからない。

でも、ここは、もう、自分の経験からくる感覚を信じよう

そして、結局、

自分が下した判断は、

「フィリピンのこの状況はすぐに改善しないし、また、日本が入国制限に踏み切る前に、少しでも早く帰国しよう。」

だった。

うん、

「もう様子を見てる場合じゃないよな」

と。

「少しでも早く手を打って、できるだけ早くこの国を出よう」

そう判断した。

そして、翌日、

ボランティアのみんなにそれを告げた。

みんなも納得してくれた。

、、、

この日から毎日、自分は、空港に通うことになる。

なんとかして12名(プラス自分)全員分のチケットを手配するために。

今度は、航空会社のオフィスではなく、直接チケットカウンターで、並び、交渉することになる。

企業や語学学校等は、法人単位でチケットを抑えてるようだ。
また、セブ日本人会も動いている。

しかし、この危機的状況の中、自分らのように、個人の力でチケットを手配するのは容易ではない。

同じように、路頭に迷った外国人が、小さなたったひとつの窓口のチケットカウンターに、連日、たくさん集まり、途方に暮れていた。

それでも、やり続けるしかない。

粘り続けて、なんとかして突破口を開こう。

そして、

まずは、、、

滞在場所を変えよう。

空港の近くに移動して、状況次第で、みんながすぐに動けるようにしよう。

幸い、現地スタッフの息子が働いているオフィスの関係者が、空港近くにゲストハウスをやっており、そこへ泊めてもらうことになった。

これもまた突然だけど、明日、移動するので、今日はその準備と、

そして、仲良くなった子どもたちやスタッフとの最後の一日を大切に過ごしてほしい、

そう、皆に伝え、

自分もまた、ここを離れる準備を始めた。

差別と監視と軟禁に苦しめられた日々を清算し、それはネガティブなものかもしれないが、それでもまた明日の希望をなんとか積み上げるために、

新たな次の一歩を踏み出そうと、

決めた。


《「ロックダウンからの脱出(Ⅳ)了。続く。》

🌈ロックダウンからの脱出 PartⅠ~Ⅵ &「その後」
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【ロックダウンからの脱出(Ⅲ)】~フィリピン・セブ島ー差別、監視、軟禁、、3・21、あの日、新型コロナウィルスにより突如封鎖された島を、ボクらは脱出した、、、(#アジア人差別とヘイトクライム #ウィルスの次にやってくるもの #海外ボランティア)

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監視と軟禁状態の中、地域の役人や住民から差別を受けているような、こんな場所にいてももう意味がない。

そう判断した自分は、他の地域(隣の市)の仲間に連絡をとり、ボランティアを連れて、支援活動に行くことにした。

もうその時点で、自分らがいたセブ市は、いくつかの行動制限が厳しくなっていたのだが、隣の市(タリサイ)では、まだ大丈夫、とその仲間に言われていた。

彼女は、自分が、フィリピンに来始めた、もう20年近く前に出会った子だった。

NGOはまだ立ち上げてなく、自分は現地の団体にボランティアとして参加し、貧しい子どもたちに毎日炊き出しをする活動をしていた。

その時に、彼女はまだ小学6年生で、いつも、自分の弟(まだ赤ちゃん)を連れて、毎日、食事をしに来ていた。

その後、現在住んでいる隣の市に、彼女が引っ越したり、自分が今のNGOの活動を始めて、また違う地域の支援をメインにしていたりで、ずっと疎遠になっていたのだが、近年、SNSでまた再会し、友好を深め合った。

そんな頃からのつながりなので、とても絆は深く、自分も信頼している。

NGOのメンバーやボランティアではないが、彼女が今住むスラムに対して、彼女のコーディネートで、支援活動をしている。

普段の活動においては、そのスラムは、NGOの事務所から少し離れているので(市は違うのだが、どちらもそれぞれの市の外れにあり、それほど遠くもない)、直接の支援活動はしていないのだが、やはり貧困地域であり、彼女の縁で支援をしている。

そして、彼女が移動の車を手配してくれ、宿舎まで迎えに来てもらった。(自分らは自由に動けないので)

そうして彼女の村に向かったのだが、タリサイにはいくつかのビーチがあり、自分らが出掛けようとしてると、また近所の人が事情聴取のようなことを、スタッフにしていて、通報をしたらしい。

「こんな時期に日本人はタリサイのビーチにみんなで遊びに行きやがった」

と。

そんな話を後で聞いたのだが、もう何も言うことはない。

コロナに侵された人々の心は、救いようがない状態になっていた。

それは、今、その頃からのロックダウンが5ヵ月続く現状とは違う。
今は「コロナ感染への恐怖」は、実際にそこら中にうじゃうじゃしてるウィルスそのものへの充分の現実的な恐怖なのだが、まだ感染者が少なく、ただただコロナウィルスという得体の知れないものがやってくるのを恐れていたその頃は、「コロナは外国からやってくる」ものであり、部外者を極端に恐れる風潮が蔓延していた。

少なくともその地域の人々の間では。

そんなこんなで、セブ市から離れての活動を始めようと動き出した、、

だが、

タイミングはもう既に遅かった。

この日、セブ市だけでなく、フィリピン全土に、いくつかの行動制限があらたに発令された。

昨日まではOKだったことが、今日はもうNGになっている。

もともとフィリピンという国はそういう国なのだが、、、

「この辺は大丈夫」と住民が言った地域に行ったのだが、その住民たちでさえも、政府のいきなりの規制の発令に付いて行けてない。それが混乱したこの国の現実だった。

というか、自分らはここに早朝から来て支援活動をしていて、新たな政府の発令はその後だったし。

また、計画していたこのイベントは、やはりこういう時期なので、あまり目立たないように、少人数で行う予定だったのだが、屋外でのイベントだったので、やはり近所の子どもたちが、どんどん集まってきてしまい、収集がつかなくなり、もちろん充分に目立ってた。それもよくなかったのだろう。

そして、やはり、それを見た誰かが通報したらしい。

子どもたちと一緒に、ゲームをしたり、支援物資を配給したりしている最中に、騒ぎが起きた。

バランガイスタッフ(地域の役人)、ポリス、DOH(フィリピン保健省)の職員等がやってきて、イベントの中止と強制退去を命じてきたのだ。

ただこれは、外国人差別とかではなく、日々、ころころ変わる規制事項に、ひっかかったことが理由なので、DOHから、今日(さっき)新たに発令された規制事項について説明を受け、自分も納得して、とりあえずやることはある程度やらせてもらって、命令に従ったのだが、

手伝ってくれた現地のボランティアとかが逮捕されたりしないよう、バランガイスタッフやDOHと話し、なんとか、何事もなく収めることができた。

フィリピンではこういう場合(結果的に政府の命令を破ったことになる)、本来なら、責任者の拘束や罰金がおかしくないのだが、「地域の子どもたちの支援のため」ということもあり、向こうも納得してくれた。

バランガイスタッフのリーダーが言った。

「こうやって支援してくれるのは嬉しいけど、でもわかってほしい。今は中止させざるを得ないんだ。ごめんな。」と。

いや、、ほんとに仕方ない、、、それがこの新型コロナウィルスに侵され始めた世界の、そしてフィリピンの現実だった。

ころころ取り決めが変わると言えば、子どもたちの学校も、2~3日前は、「来週から休み」とかって言ってたんだけど、ロックダウンの決定で状況が変わり、突然すぐにぜんぶ休みになっていた。

そして、その頃の世界情勢はというと、スペインやイタリアでパンデミックが拡がって、おそらく人類にとって想定外の事態になって行ってた。

また、その前日、ひとりのボランティアが帰国したのだが(もともとの日程で)、その人を空港まで送っていった時には、まだ何もチェックはなかったし、空港も平常通りで、飛行機も普通に飛んでいた。が、

しかし、

この日の前後を境に、フィリピンは、そして自分らを取り巻く状況は、また急激に変わり、

それはどんどん悪くなっていくことになる。

なんだかんだとまた大変だったけど、それでも久しぶりに外に出て自由な息が吸えた開放感も味わうことができた、ほんのひとときだけど、周りの猜疑心を気にせずに子どもたちと笑顔で過ごすことができた、そんなその日の支援活動を終え、宿舎に帰り、メールをチェックすると、

航空券を手配していたフィリピン航空からこんな連絡が。

「ロックダウンにより帰国便のフライトがキャンセルされました」



《(Ⅲ)了。続く、、》

🌈ロックダウンからの脱出 PartⅠ~Ⅵ &「その後」
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「ハカリに乗せて、まだ揺れが止まらないうちは、目盛りを読むこともできない」 ~コロナとインフルエンザ、ワクチン、まだ誰も答えをくれない。見つからない。だから今はまだ何も否定せずに、素人は素人なりに考え、そしてすべてを飲み込んでおこう、、、 (#怖がるだけでなく発想の転換も #コロナはただの風邪? #マスクで顔痩せ)

f:id:yumekake-john-ngohope:20200807161920j:plain新型コロナウィルスとインフルエンザの比較がよく行われて、「インフルエンザの方が危険なのに、どうしてそんなコロナコロナ騒いでんの?」って言ってるのをしばしば聞くようになった。

ちなみに自分も必要以上にコロナコロナって過剰反応したり、過剰対策したりするのは嫌だし、経済活動との兼ね合いも大事。でもって、ロックダウンや自粛は、大きな意味はあるとは思うけど、タイミングが重要だと思う。あと、風邪の一種だってのもとりあえずそうだと思う。ただ、残念ながら特別にやっかいだけど。(ちなみにインフルエンザは風邪の一種ではないらしい。)

と、同時に、自分的には、今回のCOVID-19を、やっぱり怖いし、舐めたりしてはいない。うちは高齢の母と同居なので、万が一を考えると絶対に感染できないし、うちみたいな田舎で、感染者がでるということが、どんな結果を引き起こすか、考えるだけでも恐ろしい。


そしてもうひとつ。

日本ではインフルエンザにはぜんぜん対策しないけど、コロナにはそれなりに対策してたんで、感染者数の結果とかで単純に論じることはできない。

では、コロナにもあまり対策をしなかったスウェーデンで比べてみよう。

インフルエンザの死亡者数は、2016-17:731人、2017-18:1021人、2018-19:505人。

今年のコロナの死者数は、7/20時点で5619人。

それでもコロナなんてインフルエンザよりも怖くないって言えるのだろーか?

自分には説明がつかないんだよね~🙄

あ。これはスウェーデンのコロナ対策(集団免疫獲得のためにロックダウン等の厳しい規制をしない)についてどうこう言いたいんじゃないよん。事実、他のヨーロッパ諸国に比べて、スウェーデンの経済への影響は格段に少なかったわけだし。ただコロナとインフルエンザの比較データを持ってきただけ~。

んで、まあ、何が言いたいのかというと、コロナを恐れ過ぎて過剰反応するのは良くないと思うけど、インフルエンザを持ち出してきて比較するのも、いまいちまだ説得力がないような、、、ってこと?

現時点では、何を言おうと、あくまでも推論であって、それはそれでいいんだけど、まだ断言しちゃうのは自分にはどうもひっかかるん😳

ところで。

今、ロシア、イギリス、中国、アメリカ等が、ワクチンの開発をリードしている感じだ。

で、コロナ対策への出口戦略を進めるひとつのキーワードが、このワクチンの完成なのだと思う。

もしワクチンが開発されたら、世界秩序も経済の流れも一気に変わるだろう。

で。

なんか9月には、、なんて言われたりするけど、どうかはわからない。

でも、少しでも早く開発されて、なんとなく安心した世界に戻っていくことを願う。

ワクチンといえば、以前めっちゃ話題になったアビガンだが、

まあ、今回の新型コロナウィルスへの特効薬となる可能性は低いらしい。

ただ、少なくとも日本では、患者の了承を得た上で、投与が行われている。

そして、アビガン投与によってよくなった、というような芸能人の発言があったりもする。

実際は、アビガンが効いたのか、それともたまたま治るタイミングにすぎなかったのはわからないが、こういう有名人の発言が、より人々の期待をあおったのだろう。

じゃあ実際効かないかといえば、確かに新型コロナウィルスへの直接的な効果はないのかもしれない。

が、悪化を防ぐ対症療法の過程では、効果がある場合もないわけじゃない、と思う。

もちろん副作用については充分気を付けた上での話だが。

今回のコロナは、決して致死率や重症率が高いわけではないので、対症療法で病状悪化を防いでるうちに治ってしまう、ということが多いのではないだろうか。

そう考えると、アビガン、捨てたもんじゃない。

と、思うんだけど、、、

どうなんだろー?😅

ところで、、、

コロナは暑さと湿気に弱い、という当初の論はいったいなんだったのだろう?

世の中、表面的なデータだけじゃ語れない、ということだよね。

それも自分みたいなシロートには危険😱

でもって写真は、、、

低酸素トレーニング用に、、、というか顔痩せ用に!😂、使ってるフェイスマスクで、

今まで外でこれしてると怪しい人に思われたんで、ジムでしかしなかったんだけど、

コロナでこんな感じじゃん?みんなマスクしてるじゃん?

だから外でもあんまし違和感がなくなって、今、暑いのもあって、めっちゃ汗がかける!🤣

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「これは混迷が続く中東の縮図なのか、それとも事故だったのか」 ~かつて中東のパリと呼ばれたレバノンで起きた大爆発について、今思うこと。あくまでも今、現時点で、、 (#イスラムシーア派ヒズボラ #レバノンのモザイク国家 #フィリピン現地出稼ぎからの報告 #レバノン旅の思い出)

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My partner is still there. I can't make a contact with him now yet.

「彼がまだそこにいるの。でも、まだ連絡がとれないの。」

そう彼女は言った、、、



日本でも朝からニュース等でやっているので、知っている方も多くいると思う。

昨日、中東、レバノンの首都ベイルート、港湾地区で大爆発が起こった。

政府からの発表によれば、大量の化学物質(爆薬の燃料となる硝酸アンモニウム)を保管していた倉庫が爆発したのだという。

未だ現地からの情報が錯そうしており、はっきりしたことは言えない。

倉庫が爆発したことによるものだとしても、それが事故なのか故意なのか。

いずれにせよ、大変な事態には間違いなく、負傷者の一刻も早い救出を願う。

報道では、死傷者はすでに5000人を越えているが、瓦礫に埋もれている人々がまだ多数いると思われるため、今後もっと増えていくだろう。

。。。


冒頭の言葉は、自分のフィリピンの友人によるもの。

そう、中東諸国には、たくさんの出稼ぎ労働者が働きに行っており、フィリピンも例外ではない(というか代表的な出稼ぎ労働者供給国だ)。
今回の新型コロナウィルスによる現地(出稼ぎ先)の経済状況の悪化で、多くのフィリピン人労働者が職を失い、母国へ帰国しているが、もちろん現地に残っている人も大勢いる。

彼女の彼氏も、ベイルートに出稼ぎに行っている。

そのような両国の関係もあり、日本とフィリピンでは、この事件に対する人々の温度差がぜんぜん違う。また、フィリピン人のレバノンに対する親近感は、この国が、中東にありながら、キリスト教の国内における勢力が強めだということもあるのかもしれない。

日本では、ニュースの片隅でちょろっと触れるくらい(まだ詳細がわからないこともあるのだろうが)の「外国で起きたニュース速報」な扱いだし、おそらく人々の反応も「すげー爆発!」という感じかもしれないが、
フィリピンでは、もっと身近で切実な出来事で、例えばSNS等で既に多くの人がシェアをし、祈りを捧げている。

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数年前に、中東を旅した。

バックパックを担いでの個人旅行だったので、例えば国境越えでいざこざがあったりもしたのだが、そういう旅の顛末はさておき、

その際に、レバノンにも行った。(写真はその際のもの)

長年の内戦から経済復興を遂げつつあったレバノンは、少なくとも表面的には、人々の生活も落ち着き、

ベイルートは、中東の金融・ビジネスの拠点として、かつて「中東のパリ」と呼ばれていたその姿を取り戻していっているように見えた。

再開発された旧市街では、オシャレなアパレルやブラント店、カフェが立ち並び、地中海沿岸の風光明媚なこの国は、ヨーロッパとアラブが混在しつつ、どこか洗練された佇まいを見せていた。

だが、街の至る所で、古い家屋には、内戦による弾痕が残り、郊外では瓦礫化した家で生活を続ける人々もいた。

政情不安は未だ続き、また、隣のイスラエルとは、今でも変わらず緊張状態が続き、度々、衝突も起きている。

レバノンにはその小さな国土に、様々な地理的・歴史的要因から、いくつもの宗教(政府公認だけでも18の宗教または宗派)が混在する。15年も続いた内戦も、やはりその宗教対立が大きな要因だ。
そして現在、混迷する政情のひとつの鍵となっているのが、イスラムシーア派組織ヒズボラである。


ヒズボラシーア派大国イランと結びついており、イランと敵対関係にあるイスラエル(そしてアメリカ)は、警戒を強めている。

また、余談だが、レバノン日産自動車前会長のカルロス・ゴーン氏が逃亡した国だ。彼は、レバノンで幼少期を過ごし、現在も国籍を持っている(ブラジルとフランスとの多重国籍)。ちなみにゴーン氏はキリスト教(マロン派)だ。また、今回の爆発では、そのゴーン氏の自宅も被害を受けたとの情報もある。

それから、近年では、内戦が続く隣国シリアからの難民の大量流入が国家財政を圧迫し、それが大きな要因となり(コロナの影響も?)、今年3月、レバノン史上初めての債務不履行(デフォルト)に陥ったりもした。

そのように、宗教的・地理的にもいくつもの側面を持つ国であるレバノンは、歴史の荒波の中に翻弄され続け、国際関係にも緊張が続き、政情も不安定な状態が続いている。

特に、先ほど触れたように、国境を接する(しかも宗教的に相容れない)イスラエルとの関係は不穏な状況である。

今回の爆発は、その影響なのかどうかはまだわからないが、イスラエル政府はもちろん否定している。(そして被災の救済を申し出ている。)

ちなみに、これも今でもそうなのだが、多くのアラブ諸国からのイスラエルへの入国には制限がある。例えば、パスポートにシリアの入国スタンプが押されていると、イスラエルから入国拒否される。(まあ、パスポートへの細工等、対処法はあるけど。)

なので、自分もこの時はイスラエルには行っていない。有名な死海にも行ったが、ヨルダン側からだった。

あ。また話を戻して(^^;)、そんなふうに、ずっと複雑な緊張状態が続く中東情勢だが、初めに触れたように、今回の爆発が、事故なのか、はたまたテロなのか、それはまだわからない。

イスラエルは否定しているのに、トランプ(米大統領)さんが、「何らかの攻撃と思われる」なんて言ってるように、いちばんの同盟国からして現状では情報が統一されていない。(まあ、攻撃するのはイスラエルだけじゃないけど。)

今後、少しずつ、事実が判明してくるのだろう。



爆発は現地時間の4日の午後6時(日本時間の5日0時)頃。

すぐに辺りは暗くなってしまい、被災者の救出作業は難航している。

今も多くの方が瓦礫に埋もれているかもしれない。

一刻も早い負傷者の救出と無事を願うとともに、

そして、

お亡くなりになられた方々のご冥福を、心よりお祈り申し上げます、、、


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【ロックダウンからの脱出(Ⅱ)】~フィリピン・セブ島ー差別、監視、軟禁、、3・21、あの日、新型コロナウィルスにより突如封鎖された島を、ボクらは脱出した、、、(#ウィルスの次にやってくるもの #人の心の闇 #アジア人差別とヘイトクライム)

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3月15日
この日、いきなりマニラ(フィリピンの首都)がロックダウン(都市封鎖)された。
そこから流れが一気に変わる、、、

といっても、マニラとセブは、島が違うし、飛行機じゃなきゃ行けないくらい遠いから、実質的にはセブにはあまり影響はなかった。

日曜日には教会にみんなで集まってミサとかやってたのに、週が明けてすぐにマニラがロックダウンされ、その流れでセブの学校や施設もすべてダメになったりはした。

とはいえ、それでもセブはまだゆったりしてた。町の雰囲気も緩かった。

ショッピングモールも市場もふつうに開いていたし、トライシカット(チャリンコタクシー)でちょい出掛けたり、トライシクル(バイクタクシー)に乗って自分たちでスーパーに買い物に行ったりもできた。

スーパーの入り口でおでこにピッていう検温チェックがあって、日本ではまだそういうのがやってなかったから、珍しくてみんなで盛り上がってたりもした。

「ひっかかったらここでバイバイだねー」なんて笑い話もしながら。
(毎日の検温チェックを義務化していたので、いちおう心配はなかったのですが、、)


例えば日本でも同じ感じだと思うんだけど、
コロナ感染初期に、北海道でクラスターがあって緊急事態宣言が出た時も、東京とかでは他人事だったように?

なんだけど、この日を境に、どんどん話が進んでいって、

まずは、すべての国内線がストップして、国際線も大幅に制限された。また、フィリピン全土に、夜間外出禁止令が出された。

そして、新型コロナウィルスに対する人々の警戒心が一気に増して、人々はパニックモードになっていった。

でも、それでも初めの頃は、なんでもなかった。

さっき書いたように、日本人だけでさくっとスーパーに買い物に行ったりもしてたし。

実際、まだ、その夜間外出禁止令以外の制限はなかったし。

でも、

問題は、人々の心。

すっかりコロナウィルスの恐怖にとりつかれた人々の心が、自分らに襲いかかった。

何の根拠もない「日本人はコロナだ」(中国と韓国も)っていう差別意識が、人々の間に蔓延していた。

韓国人の団体が宿泊した(泊っただけで、べつに感染者が出たってわけじゃない)ホテルの名前を、フェイスブックでシェアして、風量被害を広めたりしていた、そんな状態。

2月末だったっけ?アメリカでもあったでしょ?
地下鉄構内で中国人が「コロナだ!寄るな!」って襲われた事件。
今思えば、現状のようになってしまうアメリカ人にそんなこと言われる筋合いはないんだけど、あの頃は確かにそうだった。

「中国、韓国、日本からコロナはやってくる」

という、、、。

日本人はたぶん、そんなあからさまな人種差別をしない(イスラム国騒ぎの時に、ムスリムの人たちに対して、そういう感じになってたりもしたけど)から、自分の感覚もどこか平和で甘っちょろいものなってたのかもしれない。
また、もともと明るい性格のフィリピン人だから、いくらパニックモード(感情的な国民なのでパニックにはなりやすい)になったからって、持ち前のフレンドリーさもあるし、、、

だったのだが、思った以上に、フィリピン人の反応は極端だった。

それは、これもたぶん日本人では想像つかないかもなんだけど、、、
もともと医療環境が整ってない発展途上国、また、特に貧困層が多いフィリピンで、粗末な家々が密集し、多人数家族であるスラムにおいて、クラスターが発生したら大変なことになるっていう(実際、スラムでのクラスターは多く発生し、特にセブでの感染者は今も増え続けてる。)危惧や、

何よりも、スラムの貧困層は、病院に行ったり、検査を受けるお金がない。日本のように福祉や保健も整ってない。だから余計に感染が怖い。病気に関する知識も薄いので、かかったら死ぬ、と思ってる、、

そういう国の状態の事情もあり、政府は感染を極端に恐れて、規制を厳しくしていった。

同時に、必要以上に感染を恐れた、そんな人々の心が荒んでいった。

実際には、その頃、夜間外出禁止以外、自分らに課せられた制限はなかった。

人々もふつうに町に出歩いてたし、市場は人でいっぱいだった。

逆に自分は、「こんな状況じゃ、今は良くても、いずれ大変なことになる」と恐れていた。ミサをやってしまう意識の低さからいっても。(事実、その後、セブ市はフィリピンの世界最長のロックダウンの一番の原因になる。)

町はまだ平常とあまり変わらなかったが、しかし、人々の心は、すでにコロナに蝕まられていた。体よりも先に、心が感染していた。

「日本人はコロナ」という差別意識から、自分らのことを役場に通報する人がいたり、ひどいのになると、宿泊所(NGOのゲストハウス・一軒家)の隙間から、自分らのことを、隠し撮りにしてたりする人もいた。

実は子どもでさえそうだった。
逆に遠慮のない子どもは、「あなたたちはコロナなんでしょ?」と不可思議な顔をする子とかもいて、初めは自分らに近付いてこなかったりもした。
(毎日、他の友だちと一緒に自分らと絡んでるうちに、すぐにふつうに遊んだりするようになってたけど(^^;))

そんなこんなで、

どんどん、というか急激に、自分らに対する制限と監視の目が厳しくなった。

簡単に言ってしまうと、自分らは人々の差別意識によって、地域から隔離・監禁状態にされていた。あきらかに監視対象とされていた。

住民の通報により、自分らは、バランガイ(地方自治体・町村)における、監視、監禁、差別の対象となった。

まだ現地人には特になかった(週明けに夜間外出禁止が出たくらい)行動制限が課せられ、宿泊施設に軟禁された。

でもそれは、国で決められた法律でも条令でも命令でも何でもないから、罰則があるわけじゃないし、実際は制限があるわけでもない。(その頃のセブでは、まだ正式な規制があまりなかった。)

ただ、地域(バランガイ)の長(バランガイキャプテン)が、そういう通報によって、自分らの行動を制限しようとし、また、地域住民も同じくパニックモードにより猜疑心を募らせた。

「あの家はコロナの巣だ」
「日本人がコロナをばらまいている」

そんな監視・軟禁・差別の生活によって、宿泊所から自由に出ることもできず(表にちょっと出るだけで近隣住民から通報される)、学生ボランティアたちのストレスもたまっていった。

なんとか彼らを不安がらせないように、毎日毎晩、現地の友人や在住日本人と連絡をとり、情報を集め、「これはこれでなんとかするから」と、何事もないようにふるまおうとしていた。

幸い、NGOの支援で学校に行っているサポートチャイルドの子たちが、学校や休みなので、毎日、宿に遊びに来てくれて、学生ボランティアと楽しく交流してくれた。

が、

このままでいいわけがない。

で、自分は、このバランガイとの付き合いも長いし、そんな差別に従う理由もないので、直接バランガイオフィスに行って、バランガイキャプテンとケンカしたりもした。

「これって人種差別だろ?恥ずかしくないん?てゆーか人権侵害じゃね?!」と。

だがしかし、彼の態度は変わらなかった。

じゃあ、もうここに居たって仕方がない、何もできない、と思って、自分は次の行動を具体的に模索し始めた。

国際状況的には、「今すぐ帰国しなきゃ」という状態ではまだなかった。
だってまだ、日本ではオリンピックもやる気でいた頃だ。

だから、その時に考えたのは、今、ここにいるボランティアのみんなに、なんとか別の支援プログラムに参加してもらう手配を整えよう、ということだった。

いつも活動を行っている、ここ、ではない場所で。

そう、とにもかくにも、

もう、こんな差別的な地域にいても意味がない。

まずはここから出よう、

と、、、


《(Ⅱ)了。続く、、》

ロックダウンからの脱出 PartⅠ~Ⅵ &「その後」

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【ロックダウンからの脱出(Ⅰ)】~フィリピン・セブ島ー差別、監視、軟禁、、3・21、あの日、新型コロナウィルスにより突如封鎖された島を、ボクらは脱出した、、、( #アジア系差別とヘイトクライム #今となれば貴重な経験 #ウイルスの次にやってくるもの #国際協力NGO HOPEハロハロオアシス)

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もうあれから、5ヵ月目、、
新型コロナウィルスにより、各国がロックダウンを始めた3月。
NGOの現地事務所があるフィリピン・セブ島では、それ以来、未だに、「世界最長のロックダウン」が続いている。
ただ、現状として、感染者はまだ増え続けているが、経済活動をいつまでも停止しているわけにはいかないし、国民の(いや、政治家も)我慢も限界を越えている。
そして、8月より、全体的にロックダウンの規制の内容が緩くなった。
そんな中で、一度、自分らがロックダウンされた現地に滞在し、厳しい規制と封鎖の中、緊急脱出してくるまで、いったい何が起き、何を感じたかを、振り返りたいと思う。

3月中旬、中国から始まった新型コロナウィルス・COVID-19の感染は、韓国、日本でのクラスター、そして欧米でのパンデミックを引き起こし、全世界を巻き込もうとし始めていた。

その頃、自分は、NGOの現地事務所のあるフィリピン・セブ島にいた。
春休みで日本からやってきた12名の学生ボランティアと一緒に。

3月中旬といえば、覚えているだろうか、世界ではまだコロナに対する意識も今に比べるとぜんぜん低かった。
日本では既に休校要請があり、学校が休みになったりもしていたが、その政府の方針に対し、世間の声は、「おおげさじゃない?」という方が大きかった。

中国では発生源をされる武漢が封鎖され、韓国でも教会でのクラスターがあり、日本ではクルーズ船でのクラスターが問題になっていた。また、スペインやイタリアでのパンデミックも始まっていたが、今では大変ことになっているアメリカでは、まだぜんぜん対策もとられておらず、感染もほとんどなく、コロナが問題視されていなかった。

また、日本における入国制限はまだ何もなく(中国からでさえ)、現地フィリピンにおいては、その時点で感染者はまだ3名(それも外国からの旅行者や帰国者)とかだった。なので、双方の空港とかでも、特に検査はなく(PCRとかあり得なく、日本はゲートによる検温くらいで、フィリピンでも簡単な問診と検温をするくらい)、また、両国間における何らかの渡航制限や入国制限もまったくなかった。

というか、あの頃は、世界でもこんな大騒ぎになってなくて、太平洋の小さな南の島国以外は、入国制限とかしてなかった。(その国たちは、小さい島だからコロナが入ってきちゃうと大変なことになるし、医療体制も整ってないんで、コロナの感染が発生してる国のすべてを入国拒否にした。)

で、あの頃の、感染の中心は、東アジアで、中国はもちろんだけど、あと、韓国で大規模なクラスターが発生して、日本ではクルーズ船の件があった。
でも、日本については、クルーズ船はある意味ハプニングみたいなもので、実質的な国内の感染は目立ったほどなかった。
だから、国民の危機意識もまったくといっていいほど無かった。

そして、何事もなく、現地での学生ボランティアの活動プログラムが始まった。

はずだった、、、

主な活動場所は、現地事務所のあるNGOの支援地域、セブシティの外れの小さな村のスラム。
初めは特に雰囲気も変わらない、、、
それどころか、何が驚いたってこんな時期に、教会でたくさんの人が集まってミサとかやっていた。
しょうじき、日本でもあり得ないと思った。

確かに日本よりもぜんぜん感染者数も少ないし、こんな感じなのかな、と思っていた。

が、、、

ミサのあと、予定されていた、ボランティアの歓迎会に施設の子どもたちが来なかった。

そう、政府の命令により、この週より、休校規制がされ、学校や施設もクローズしなければならなくなったのだ。

そっか、こんな感じか、、

と、思い、その後のプログラムの修正を考えていた。

スラムでのNGOの活動はたくさんあるので、施設でのボランティアの予定を変更して、他の活動をしてもらおう、と。

そうこうしているうちに、歓迎会の会場に、NGOの支援で学校に行っている子どもたちが集まってきてくれた。

そして、そのひとときを楽しんだ。

それが、これからのハードな状況の幕開けになるとも知らずに、、、

と、

そんな感じで、この時はまだ、「さすがにいつもと様子が違うよね」くらいだった。
だって日本に比べたら、感染状況はぜんぜんマシだったし、町の雰囲気も特に変わりはなかった。
その頃は、国際的には、コロナに関しては、海外の方が日本より安全だと考えられていた。
「コロナは中国の周りのアジアからやってくるもの」と思われていた。

そして、その時期、同様に、嫌な感じのこともひとつあって、、、

その頃、フィリピンで初めて、フィリピン人の感染者が出たのだが、それが、日本からの帰国者だったということ。

もともと外国から見たら、中国も韓国も日本も同じようなものなので、その辺の差別感情がどうなるか、っていう不安はあった。

例えば、NGOで支援をしている山奥のスラムの話なのだが、現地からの頼みで、学生ボランティアによる支援プログラムが中止になった

それは、山奥のスラムという閉ざされた地域に、もしも感染者が出たら大変な状況になってしまうから、知らない日本人を入れることによっての感染を恐れて、ということだった。ようするに先ほど書いた、島国による入国規制と同様の理屈だ。

そのような、日本人(もちろん中国とかに対しても)に対する現地の人々の意識が気にはなっていたが、国際状況的には、中国に対する以外、まだ何も制限はなかったし、現地・セブの様子も特に変わってなかった。

ただ、ここでドゥテルテ・フィリピン大統領が、予想外の思い切った宣言をする。

3月15日。

この日、いきなりマニラ(フィリピンの首都)がロックダウン(都市封鎖)された。

そこから流れが一気に変わる、、、


《(Ⅰ)了。続く、、》

🌈ロックダウンからの脱出 PartⅠ~Ⅵ &「その後」

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