YUMEKAKE/JOHN's diary

国際協力活動のなかでのマジメな話からゆる~い話まで/海外から日本から

「ロックダウンからの脱出(Ⅰ)」 ~フィリピン・セブ島ー差別、監視、軟禁、、3・21、あの日、新型コロナウィルスにより突如封鎖された島を、ボクらは脱出した、、

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もうあれから、5ヵ月目、、
新型コロナウィルスにより、各国がロックダウンを始めた3月。
NGOの現地事務所があるフィリピン・セブ島では、それ以来、未だに、「世界最長のロックダウン」が続いている。
ただ、現状として、感染者はまだ増え続けているが、経済活動をいつまでも停止しているわけにはいかないし、国民の(いや、政治家も)我慢も限界を越えている。
そして、8月より、全体的にロックダウンの規制の内容が緩くなった。
そんな中で、一度、自分らがロックダウンされた現地に滞在し、厳しい規制と封鎖の中、緊急脱出してくるまで、いったい何が起き、何を感じたかを、振り返りたいと思う。

3月中旬、中国から始まった新型コロナウィルス・COVID-19の感染は、韓国、日本でのクラスター、そして欧米でのパンデミックを引き起こし、全世界を巻き込もうとし始めていた。

その頃、自分は、NGOの現地事務所のあるフィリピン・セブ島にいた。
春休みで日本からやってきた12名の学生ボランティアと一緒に。

3月中旬といえば、覚えているだろうか、世界ではまだコロナに対する意識も今に比べるとぜんぜん低かった。
日本では既に休校要請があり、学校が休みになったりもしていたが、その政府の方針に対し、世間の声は、「おおげさじゃない?」という方が大きかった。

中国では発生源をされる武漢が封鎖され、韓国でも教会でのクラスターがあり、日本ではクルーズ船でのクラスターが問題になっていた。また、スペインやイタリアでのパンデミックも始まっていたが、今では大変ことになっているアメリカでは、まだぜんぜん対策もとられておらず、感染もほとんどなく、コロナが問題視されていなかった。

また、日本における入国制限はまだ何もなく(中国からでさえ)、現地フィリピンにおいては、その時点で感染者はまだ3名(それも外国からの旅行者や帰国者)とかだった。なので、双方の空港とかでも、特に検査はなく(PCRとかあり得なく、日本はゲートによる検温くらいで、フィリピンでも簡単な問診と検温をするくらい)、また、両国間における何らかの渡航制限や入国制限もまったくなかった。

というか、あの頃は、世界でもこんな大騒ぎになってなくて、太平洋の小さな南の島国以外は、入国制限とかしてなかった。(その国たちは、小さい島だからコロナが入ってきちゃうと大変なことになるし、医療体制も整ってないんで、コロナの感染が発生してる国のすべてを入国拒否にした。)

で、あの頃の、感染の中心は、東アジアで、中国はもちろんだけど、あと、韓国で大規模なクラスターが発生して、日本ではクルーズ船の件があった。
でも、日本については、クルーズ船はある意味ハプニングみたいなもので、実質的な国内の感染は目立ったほどなかった。
だから、国民の危機意識もまったくといっていいほど無かった。

そして、何事もなく、現地での学生ボランティアの活動プログラムが始まった。

はずだった、、、

主な活動場所は、現地事務所のあるNGOの支援地域、セブシティの外れの小さな村のスラム。
初めは特に雰囲気も変わらない、、、
それどころか、何が驚いたってこんな時期に、教会でたくさんの人が集まってミサとかやっていた。
しょうじき、日本でもあり得ないと思った。

確かに日本よりもぜんぜん感染者数も少ないし、こんな感じなのかな、と思っていた。

が、、、

ミサのあと、予定されていた、ボランティアの歓迎会に施設の子どもたちが来なかった。

そう、政府の命令により、この週より、休校規制がされ、学校や施設もクローズしなければならなくなったのだ。

そっか、こんな感じか、、

と、思い、その後のプログラムの修正を考えていた。

スラムでのNGOの活動はたくさんあるので、施設でのボランティアの予定を変更して、他の活動をしてもらおう、と。

そうこうしているうちに、歓迎会の会場に、NGOの支援で学校に行っている子どもたちが集まってきてくれた。

そして、そのひとときを楽しんだ。

それが、これからのハードな状況の幕開けになるとも知らずに、、、

と、

そんな感じで、この時はまだ、「さすがにいつもと様子が違うよね」くらいだった。
だって日本に比べたら、感染状況はぜんぜんマシだったし、町の雰囲気も特に変わりはなかった。
その頃は、国際的には、コロナに関しては、海外の方が日本より安全だと考えられていた。
「コロナは中国の周りのアジアからやってくるもの」と思われていた。

そして、その時期、同様に、嫌な感じのこともひとつあって、、、

その頃、フィリピンで初めて、フィリピン人の感染者が出たのだが、それが、日本からの帰国者だったということ。

もともと外国から見たら、中国も韓国も日本も同じようなものなので、その辺の差別感情がどうなるか、っていう不安はあった。

例えば、NGOで支援をしている山奥のスラムの話なのだが、現地からの頼みで、学生ボランティアによる支援プログラムが中止になった

それは、山奥のスラムという閉ざされた地域に、もしも感染者が出たら大変な状況になってしまうから、知らない日本人を入れることによっての感染を恐れて、ということだった。ようするに先ほど書いた、島国による入国規制と同様の理屈だ。

そのような、日本人(もちろん中国とかに対しても)に対する現地の人々の意識が気にはなっていたが、国際状況的には、中国に対する以外、まだ何も制限はなかったし、現地・セブの様子も特に変わってなかった。

ただ、ここでドゥテルテ・フィリピン大統領が、予想外の思い切った宣言をする。

3月15日。

この日、いきなりマニラ(フィリピンの首都)がロックダウン(都市封鎖)された。

そこから流れが一気に変わる、、、


《(Ⅰ)了。続く、、》

🌈ロックダウンからの脱出 PartⅠ~Ⅵ &「その後」

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自分は、国際協力NGO「HOPE~ハロハロオアシス」の代表を務めています。(詳しくは下記「自己紹介・NGO連絡先」リンクをご参照お願い致します。)
あ。「YUMEKAKE」というのは、NGOの活動のプロジェクト名(YUMEKAKE PROJECT)です。世界の子どもたちの、笑顔と希望と夢の架け橋になりたい、という意味です。

このブログでは、国際協力活動を通しての視点で、海外また国内の、様々な問題や出来事、スラムや難民キャンプの人々の生活、NGOの活動の様子等を、時に真面目に、深く、時にゆるく、書いていきたいと思います。 そして少しでも、皆さまに、世界の様々な現実を知ってもらえるきっかけを届けたいと思っています。

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