スラムの片隅から世界を、、【YUMEKAKE/JOHN's diary】

国際協力活動のなかでのマジメな話からゆる~い話まで/海外から日本から

【心に刻み込まれたあの日の記憶】~東日本大震災の発生から今日3月11日で12年になります。   (#2011年3月11日14時46分東日本大震災#津波 #福島原子力発電所被災 #マグニチュード9.0震度7 #風化させてはいけない #海外フィリピンでの追悼イベント #NGOの災害復興支援活動 #福島県相馬市 #福島県新地町 #福島県双葉町 #埼玉県加須市騎西高校避難所 #宮城県亘理郡山元町 #終わらない原発事故の影響も避難生活も風評被害もPTSD心の傷も #どうして日本人なのに海外支援?)


東日本大震災の発生から、今日3月11日で12年になります。
これまでに確認された死者と行方不明者は、避難生活などで亡くなった「震災関連死」も含めると、2万2212人に上ります。

TVを見ながら、黙禱をしました。

この震災により犠牲となられた全ての方々に対し哀悼の意を表し、御冥福をお祈り致します。

でも、まだ終わっていません。
原発事故の影響も避難生活も風評被害も、PTSD、心の傷も。

自分の中にも、
何年経っても心に刻み続けられています。

※※ ※※ ※※ ※※

自分は国際協力NGOの代表を務め、主にフィリピンの支援をしています。

と、こんなことを言うと、よくこんな突っ込みが入ります。

「どうして海外?日本だって大変じゃないの?」

そのとおりです。

もちろん日本での活動も行っています。

NGOとして、個人として、災害復興支援のために、日本各地へボランティアをしにいったり、復興イベントを主催したり、参加したりしています。

東日本大震災の際も、復興支援活動のために、地元自治体と連携し、何度も被災地へ赴きました。また、地元の近くにあった大規模避難所(埼玉県騎西高校)においても継続的に支援活動を行いました。

その際に、フィリピンへの海外ボランティア・スタディツアーへ参加したメンバーが協力してくれました。

あの頃SNSと言えばmixiだったのですが(^^;)、被災地へのボランティアについてmixiの日記に書いたものを、この日にまた改めて振り返ってみたいと思います。

TOPの写真は、3.11にフィリピンにいる際にいつも開催している追悼イベントの様子です。

※※ ※※ ※※ ※※

以下、当時の日記より、、

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先週末、再度、被災地を訪れた。

前回は個人でボランティアに行ったけど、現地の状況余りの酷さに、復興にはまだまだ多くの人の手と時間が必要だと思い、今回はたまにオフ会をする仲間や海外ボランティアにフィリピンへ一緒に行ったメンバー(自分は引率なので、今までの歴代の参加者)に声をかけてみた。

初めは、「また行くから興味があったら一緒にどう?」くらいの感じだったんだけど、気がついてみたら30人もの人数が集まった。

集合・出発地は埼玉(東北自動車道沿線)だったんだけど、関西から来た人や、メンバーの友達や、初対面の人、たくさんのメンバーが思いを共にし、協力してくれた。

思ったより人数が多く集まったのは、いわゆる嬉しい悲鳴ってやつで、その分、調整も大変だったりもしたけど😅

待ち合わせが早朝の為、前泊の手配から、車の配車、ボランティア保険や現地自治体との調整、現地での宿泊等、直前までわらわらしてたけど、でも、みんなで行って、みんなでボランティアできて、本当によかった😇

ボランティアに訪れた場所は福島県の新地町。

津波被害の為にボランティアセンターの立ち上げが遅れ、加えて、メディアには全く扱われないからかボランティアが余り集まらず、他の近隣地域に比べ人手がより必要な状態であると、以前訪れた相馬市のボラセンから紹介された。

ボランティア前日、何人かのメンバーと前泊の待ち合わせをした。

滋賀からおっきなスコップ担いでバスと電車に乗り現れたメンバーに思わず感動し…とゆーより笑ったりもしつつ😁

いくつかの場所と時間に待ち合わせを設定したんだけど、とりあえずオレ経由で集まったメンバーだからオレが待ち合わせに行くのがいちばん話が早いんで、そのすべての待ち合わせに付き合わなきゃだったから、結局まったく眠れないで運転😱

早朝3時過ぎに他の車と羽生PAにて全員集合して、簡単な連絡、打ち合わせをする。途中、給油に寄り、高速を降りて現地に向かう。

高速道路から道にはいくつもの亀裂が走り、被災地に近づくについて、倒壊した家屋が目立つようになる。


6台の車で走った為、よくある話で、途中はぐれたり、なんとか合流するために無理に反対車線のコンビニに突っ込んだり、信号待ちで置いてかれてふつーに迷ったりしながらも、なんとか現地に到着。

ボラセンで手続き・打合せをして、活動場所へ。

作業内容は、寺だか神社だか(?)の松林の瓦礫撤去だ。

しょーじき初めは途方に暮れた。

どこまでが範囲かわからんくらいの場所に、とてつもない瓦礫が広がってる。

道を挟んだ向こうは津波で全てが流された住宅地に重機が作業しているのだが、ここは松林のため、重機は入れない。人力でやるしかない。

悩んでも仕方ない。とにかく始めよう。

みんな一生懸命働いた。女子メンバーが多かったから初めはちょっと心配してたんだけど、思ったよりぜんぜん動いてた。瓦礫を集め、泥をかき、だんだんときれいになっていく。

てゆーか思わず感動するくらいに風景が変わってく。

決して合理的とは言えないけど、みんなが地道に力を合わせて働いてる。

ひたすら力仕事だし、もちろんだいぶ辛い。

天気が良ければ汗だくだし、曇れば寒い。浜風が吹き荒れて顔は真っ黒、髪の毛はバサバサ。

でも、

みんななぜか笑顔だった。

一緒に作業をした地元の人(被災者の方々)も笑顔で接してくれた。

なんかそれがよかった。

みんなで来てよかった。

おっきな瓦礫をみんなで運んで、思わず拍手しあった。

みんなでなんとか知恵を絞って協力して、やっかいな状況をかたづけていった。

このどうしようもなくあからさまに困難な状況に立ち向かおうとあがいてた。

そんなんが、なんか、いいかんじだった。

被災地の復興の為に、みんなでとても有意義な活動ができたと思う。

1日の活動が終わり、先に帰るメンバーを駐車場で見送る。

夕食を食べに地元の居酒屋へ。これも復興支援。その店で、誕生日を迎えたメンバーのためにハッピーバースデー歌ってプレゼントを渡す🎂🎉

お店で新たな参加メンバーとも合流し

で、連勤組は宿に行き、それぞれの夜を過ごす。

そして、

翌日も同じ現場。

お昼は炊き出しのラーメンをご馳走になった。おいしかった!太っ腹なメンバーがみんなにアイス買ってくれた。ありがとう。

午後からは他の場所から移動してきたボランティアの応援部隊も合流し、あのヤバイくらいに広がった瓦礫の山が、本当にきれいになった。

まだ100%終わったわけじゃないけど、うちらそれなりに充実感に浸ってもいいんじゃないかなあって思った😅

今回、参加はできなかったけど、差し入れや励ましの言葉をくれたり、なんとか日程を調整しようとしてくれたり、体調を崩してキャンセルすることになってしまったり、興味を持ってくれたりしてくれたみんなの分の思いもきっと届いたはずだよ😇

そして、今回のようにイベントとして参加を募る機会がまたあるかどうかはわからないけど、被災地への支援活動は継続していくよ✨

大切なことは、日本に起きたこの大災害、被害の事実を忘れてしまわないこと、風化させてしまわないことだと思うから。

被災地で体感した現実、感じた思いを、きっといつまでも自分の心に刻み込み、そして周りのみんなに伝え、広げ、少しでも多くの仲間と分かち合っていきたいと思う。

それから…

ボラセンのスタッフの皆さん、忙しい中、笑顔で丁寧に世話をしてくれて、ありがとうございました。おかげでとてもいい雰囲気でボランティアできました。

地元被災者の皆さん、得体の知れないよそ者の自分達に、本当によくしてくれて、ありがとうございました。

ちょっとした挨拶や会話が、また自分達の力になり、思いを強くしてくれました。

復興まではまだ時間がかかると思いますが、一緒に少しずつでも前に進んでいきましょう。



あまりにちっぽけな自分の無力さに打ちのめされ、せめて今見える場所だけでもなんとかやりきりたかったという未練を残し、それでもやれるだけのことはやったんだというささやかな満足もあり、そんな様々な複雑な思いをも抱えたまま、この日の作業も終わりを告げ、

道具を洗い片付け、ボラセンのスタッフと話したり、経験談を聞いたり、感じたことを語り合ったりしつつ、それぞれの帰路につく。

その日中に帰れない関西メンバーをまたうちに泊める。

翌朝、駅まで送った後、そのまま仕事。

週末に分かちあった経験や思いに浸る間もなく、また日常の忙殺に埋もれていく。

でも確かな余韻だって残ってる。

薄れていくかもしれないけど、消えることはないと思う。

そしてもうひとつオレの中に思いがある。それは、、

きっと、

また被災地を訪れよう。

いや、ここに帰ってこよう。

これからも支援を続けよう。

この思いを持ち続けよう。

ありふれた言葉過ぎて恥ずかしいけど、やっぱり「継続は力なり」だと思う。

ひとつひとつの大切な思いを、力を、きっと繋げていこう。

みんな本当にお疲れさま😇

みんなと一緒に被災地に来れて、一緒に活動できて、思いを分かち合えて本当によかった。



作業が終わり、最後に集合写真を撮った。

みんないい笑顔だった。

汗だくでボロボロで充実感にあふれてた。

みんなどうもありがとう。

単純に前向きになれるような出来事ばかりじゃないけど、というかまだそんな気になれないけど、

でも、みんなのおかげで、貴重な経験、大切な思い出、そして、大切な場所がまたひとつできた。

本当にありがとう。

ありがとう、、、

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自分は、国際協力NGO「HOPE~ハロハロオアシス」の代表を務めています。(詳しくは下記「自己紹介・NGO連絡先」リンクをご参照お願い致します。) あ。「YUMEKAKE」というのは、NGOの活動のプロジェクト名(YUMEKAKE PROJECT)です。世界の子どもたちの、笑顔と希望と夢の架け橋になりたい、という意味です。
このブログでは、国際協力活動を通しての視点で、海外また国内の、様々な問題や出来事、スラムや難民キャンプの人々の生活、NGOの活動の様子等を、時に真面目に、深く、時にゆるく、書いていきたいと思います。 そして少しでも、皆さまに、世界の様々な現実を知ってもらえるきっかけを届けたいと思っています。
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