

世界のどこかで、今もまた、戦争が起きている。
そして、多くの命が失われている。
コロナコロナと振り回されるのは仕方ないし、目の前の障害に注視することは必要だけど、たまには、少し視野を広げて、世界の現実を見てみなきゃって思う。
考えてみなきゃって。
そう、世界には、今、こんな現実もあるんだ。
いや、日本だって、ちょっとしたボタンの掛け違いで、同じようなことが起きるかもしれないんだ。
本日(17日)未明。
アゼルバイジャン、第二の都市ガンジャの住宅街に、弾道ミサイルが撃ち込まれた。11日の攻撃に続く再度の爆撃だ。
多くの民間人が犠牲になった。
紛争地から離れた住宅地への突然の爆撃に、人々は成す術もなく逃げまどい、悲嘆に暮れた。死傷者も多く発生している。
アゼルバイジャンは、アルメニアがガンジャの住宅街に弾道ミサイルを撃ち込んだと非難している。アルメニアも、アゼルバイジャン政府が民間人を爆撃したと批判している。
アルメニアとアゼルバイジャン、旧ソ連の両国は、もう数十年に及ぶ紛争を続けている。
端的には、国境地域、ナゴルノ・カラバフ地域を巡る領土問題だ。
ずっと続く紛争が、今年に入り再燃したのだが、ロシアの仲介で、10日には改めて停戦協定が結ばれたはずだった。
しかし、その翌日にはもう爆撃が行われている。
今、現在も、アルメニアが実効支配するアゼルバイジャンのナゴルノ・カラバフ自治州で両国の軍隊が衝突し、にわかに緊張が高まっている。
両国はいずれも旧ソ連の共和国だが、ナゴルノ・カラバフの帰属をめぐってソ連崩壊前から対立。ここ数年も小競り合いが多発していた。
ただ、今回の衝突は1990年代のような全面戦争に発展しかねない。
両国が領有権を主張するナゴルノ・カラバフ地域は、国際的にはアゼルバイジャンの一部と認められているが、アルメニア系住民が実効支配している。
アゼルバイジャンはこの地域を取り戻すと述べている一方、アルメニアは、この土地は歴史的に何世紀もアルメニアのものだったと主張している。
アゼルバイジャンとアルメニアの係争地ナゴルノ・カラバフをめぐる軍事衝突は、停戦が発効したにもかかわらず、緊張が収まっていない。
アルメニアはロシアと軍事同盟を結び、アゼルバイジャンはトルコを後ろ盾としている。
そして、14日の大規模な爆撃を経て、もう一度、ロシアとトルコの間で停戦発行の確認に対する緊急会談をしたが、それが今後の緊張緩和につながるかは不透明だ。
10日に停戦発効後も戦闘は続き、民間人を含めて死者は600人を超えた。
その紛争の歴史を紐解くと、、
アルメニア人がこの地域の住民の多数を占めるが、ロシア革命後、後にソ連共産党となるボリシェビキがこの地域をアゼルバイジャン共和国に編入した。
ただ、アルメニアとアゼルバイジャンがソ連の共和国だった時代には、そのことはあまり問題にならなかった。
同じ連邦共和国として、アゼルバイジャン共和国内には多くのアルメニア人が住み、逆にアルメニア共和国にも多くのアゼルバイジャン人が住んでいた。
また、アルメニア人の多くはキリスト教の正教徒で、アゼルバイジャン人の多くはイスラム教シーア派だが、そもそもソ連時代には宗教は公認されていなかったため、信仰の違いもさほど問題にならなかった。
だが1980年代後半、ソ連の統制が緩むと、ナゴルノ・カラバフにいるアルメニア人がアゼルバイジャンの支配に抗議の声を上げ、アルメニアへの編入を求めるようになった。民族的な対立が激化していった。
そして、1991年、ソ連邦崩壊。
すると、ナゴルノ・カラバフは一方的にアゼルバイジャンからの独立を宣言。アゼルバイジャン、アルメニア共にこの地域の領有権を主張して譲らず、世論は主戦論にあおられ、戦争突入は不可避の事態となった。
そう、この戦争は、よくある大国の思惑や宗教的なものという側面もあれ、それ以上に、民族・多くの国民の総意でもあったのだ。
同自治州の独立宣言に伴い、戦争が始まる。
1992年から94年まで続いたナゴルノ・カラバフ戦争だ。
世界、いや、欧米でさえあまり知られていないが、この戦争では民族浄化の嵐が吹き荒れ、約3万人の死者と100万人の難民が出た。そのうち7割はアルメニアの占領地から逃れたアゼルバイジャン人だといわれる。
当初は劣勢だったアルメニアが終盤で優位に立ち、1994年にロシアの仲介で停戦が成立。ナゴルノカラバフはそのままアルメニアの実効支配下に置かれた。
もちろんそこにはアメリカやロシアといった大国も絡んでおり、しかし、泥沼化する戦争に対し、遂には恒久的な解決策を探ろうとしてきたが、そんな両国の長年の努力も無益なままだ。
公式には、2000年代半ばから「マドリード原則」に基づく交渉が進んでいる。アルメニアが占領地を放棄して、難民は故郷に戻り、紛争地域の住民の権利が保障されて、最終的に領土の帰属問題が解決されることを目指すという。
ただし、双方とも主張を曲げるつもりはない。特に、いずれの国も指導者が権力を維持する上でナショナリズムが非常に重要な役割を果たしており、妥協には国民が強く反対している。
ただ、停戦後、小競り合いは続いたものの、ここ数年、大きな動きはなかった。
しかし、くすぶり続けた争いは、今年に入って事態が悪化してきた。
具体的な要素はいくつかある。夏から国境付近で小競り合いが続き、互いに相手が先に仕掛けてきたと非難している。
そして、新型コロナウイルスのパンデミックで社会のストレスが高まり、経済は破綻しかけていて、政治家はいつも以上に愛国心を前面に押し出している。
それぞれを指示するロシア、トルコ両国ともに、停戦を望んでいるし、また、アゼルバイジャンの領土奪還攻撃についても、アルメニアの現在の軍事力・国力はアゼルバイジャンを大きく上回っており、この紛争がこのまま拡大する可能性は大きくはないかもしれない。
しかし、一方で、トルコの出方次第では、紛争の拡大も懸念される。
トルコはアゼルバイジャンと長年、文化や経済など結び付きが深く、アゼルバイジャンを強く支持している。そして、アルメニアとは長年対立してきた。歴史を遡れば、今も国際的に非難されている1915年にオスマン帝国で起きたアルメニア人のジェノサイド(大量虐殺)を、トルコは今なお否定しており、両国の関係は険悪だ。また、今後、宗教的側面がクローズアップされていく可能性もなくはない。
ただ、いずれにせよ、今回のような都市部への爆撃や、紛争地域における、たとえ小規模でも、深い痛みを伴う戦争をまた繰り返し、未解決の停戦状態が続続いていくのだろう。そして、現在、アゼルバイジャンは、国際機関の平和維持部隊が入ることさえ拒否している。
それは、この戦争を続ける、という意思表示なのだろう。
アルメニアとアゼルバイジャン、、ジョージア(旧グルジア)を含め、コーカサス三国と呼ばれ、そこはヨーロッパに分類されることもあれば、アジアに分類されることもある、独自の立ち位置を築き、歴史的にも文化的にもミステリアスな雰囲気に包まれた秘境と言われている。写真を見るだけでもとても風光明媚なこの地を、自分もいつか訪れたいと思う。
また、ナゴルノ・カラバフは現地語で「山岳地帯の黒い庭」を意味する。その名のとおり美しい高原地帯で、アルメニア人、アゼルバイジャン人双方がこの地に愛着を抱いている。
その地で今、また戦争が起きている。
両国の多くの国民も、戦争を望んでいるわけではないが、相手の主張を受け入れることもない。そんな葛藤の中、結局続く紛争に、多くの犠牲を払い、苦しんでいる。
長年続く争いは、両国の血塗られた歴史であると共に、あまりに哀しい現実でもある。
しかし、
今回の戦闘の犠牲者の大半は、この紛争が始まったときはまだ、生まれてさえいなかったのだ、、、