



今日は日曜日。
というわけで、今朝、フィリピンから届いた何人かからのちょっとしたメール。
「今日は朝から洗濯だよ!」
そんないつもの日曜日。
何も特別なことはない。
いつものように、手洗いで洗濯。
表の井戸で水を汲んで、めっちゃ手慣れた手つきで。
日本で流通してる洗濯板のようにギザギザはついてない。
だってスーパーとかで買ってきたわけじゃない「ただの板」だから。
でももしかしたら、この方が、生地が傷まないからいいのかな。
すすいだらそのままあんまし絞らないで外に干す。
日差しが強いしすぐ乾く。
いきなりスコールがきて、雨に濡れちゃうこともある。
でもべつにいい。
そもそも雨水も井戸水もあんまし変わらない😅
NGOの現地ボランティアの高校生の妹からメールが来る。
「お姉ちゃんが洗濯してるよ~」
「私はもう終わったのー」
。。。
せっかくの日曜日なのに、早起きして洗濯で午前中は終わり。
朝からそれなりの重労働。
そんな高校生。
ここではそれが当たり前の女子高校生。
スラムに暮らす貧しい家族の、当たり前の日常、、、
。。。
フィリピンでは手洗いが当り前。
洗濯機もふつうに売ってるのに、それなりの富裕層でも、洗濯機じゃなくて、家政婦さんを雇って、
で、手洗い😅
文化だよね。
あとは電気代が高いってこともあるのかな?😳
そして最近は、ランドリー屋さんが通りにめっちゃある。
自分も前は、現地ではがんばって手洗いしてたけど、最近は、ぜんぶランドリーに出しちゃう。
めっちゃ安いし😁
とはいえ、自分で洗うことに比べたら、余計な(?)お金がかかることには違いない。
。。。
でも、体力はさておき、時間がもったいなくね?
手洗いに何時間もかけてる間に、もっとゆっくり寝られるし、遊びにいったり、スマホいじったりでもいいけど、他のことできるじゃん?
洗濯機なら、とりあえず服入れて回しとけば、あとはやっといてくれるんだし。
と、自分もそんなふうに思ったりもするんだけど、
まあ、いいや。だって当たり前の家事なんだから。
掃除はルンバで、食事は出前で、、、ていう方が楽なのはわかるけど、
やっぱ余計なお金はかかるし、自分でやりたくもなる。
それと一緒?
。。。
とある知り合いの、フィリピン人と結婚してフィリピンに住む日本人男性。
高級コンドミニアムで年の離れた可愛い奥さんと幸せな暮らし。
彼は言う。
「それが文化なのかもしれないが、奥さんに洗濯物を手洗いさせるような生活はしたくない。」
うん、、
それも愛情だし、確かにお金があるなら、わざわざ手洗いする意味もない。
富裕層(とまでは言わなくても、とりあえず貧困層ではない)的な、また、日本人的な目線だとは思うけど、やっぱり便利な方がいいしね。
。。。
ただ、自分は思う。
洗濯でせっかくの日曜日の午前中が終わっちゃう。
朝から汗だくになって。
でもそれが当り前で、特に嫌がるわけでなく、
「何してるん?」
「洗濯~」
と、明るく返事が返ってくる。
表の井戸で、近所のおばちゃんとおしゃべりもしながら。
自分は、そんな文化がけっこう好き。
なんていうんだろう、
いわゆる、古き日本の文化、が、ここにはまだある。
ただ単に便利になっていくだけじゃない、どこかあたたかい、心のこもった文化が。
ここでは当たり前のものが、日本ではそうじゃない。
もちろん逆もある。
どっちがいいかなんてわからない。
ただ、文化の発達によって失われていった、何か大切なものが、ここには確かにある、、
。。。
「何してるん?」
「朝から洗濯だよー😊」
「そっかあ。大変だね。」
「うん。でもいいの。洗濯好きなんだ🙂」
「そうなん?どうして?」
「だって、泡がいっぱいで、なんか楽しいの😁」
うん、、、
なんか、幸せそうでしょ?