スラムの片隅から世界を、、【YUMEKAKE/JOHN's diary】

国際協力活動のなかでのマジメな話からゆる~い話まで/海外から日本から

「ロックダウンからの脱出(Ⅵ)」 ~フィリピン・セブ島ー差別、監視、軟禁、、3・21、あの日、新型コロナウィルスにより突如封鎖された島を、ボクらは脱出した、、 (#フィリピンセブ #空港検疫 #入国制限 #国際協力NGO)

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ロックダウンで封鎖されたフィリピン・セブ島

その中、やっと手に入れた13人分、学生ボランティアと自分の帰国のチケット。

宿なしの危機もクリアして、ぜんぜんやってこない出発日の朝のタクシーにドキドキして、

それでもなんとか空港にたどり着いた。

みんなで急いでカウンターへ。

ふと見ると、空港の外には、今朝もたくさんの、帰れなくなった人たちが、列を成している。

「大変だな、、なんとかなるのかな、、

これからどうするんだろう、、

この国はこれからどうなっていくんだろう、、、」

そう思いつつ、空港内に入り、チェックイン・チケット発券手続きをす、、、



るはずだったのが、、、



なかなか手続きが終わらない。

えっと、、もうフライトの時間が来ちゃうんだけど、、、😳

というか、搭乗時間過ぎてんだけど、、、😱

な、状態のなか、

カウンターのスタッフが言う。

「二人、この便には乗れません。午後にもうひとつ臨時便があるので、そちらに移動してもらえませんか?」



はあ?😶



オーバーブッキングだ。

昨日の手続きはいったいなんだったのだろう?

けっこうゴネてはみたが、どうにもなりそうもないので、みんなで相談する。

自分はいいとして(というか当然として)、

でも、ここまで一緒に大変な状況を乗り越えてきた皆の中から、あとひとり、ここまできて、ここで別れなければならない。

ただもう時間がない。

決めなきゃ。

ひとりの子が、わたし大丈夫ですよ、と言ってくれる。

ありがとう。

突然の別れに泣き出すメンバー達もいる。

そして、「じゃあ仕方ないけどそうしよう」と、手続きを進めようとするが、さっきからどっかに(ゴネたので相談に?)行ったまま不在のスタッフが帰ってこない。

ふむむむ、、



で、

やっと帰ってくる。

この二人が別の便で、、

と告げようとすると、、、

「OK 全員乗れるよ」

と!😲



ん?



さっきの涙はどーしてくれる?😅



まあいいや。

で、どうなったかというと、二人はビジネスシートだと。

は?

空いてんのかい!😳

(結局、その二人以外のビジネスシートは空いていた。てゆーか、こういう緊急事態なんだから、初めっから乗せれるだけ乗せよーよ???🙄)

さて。

そんなこんなで搭乗手続きを終え、、、

たら、別のスタッフがやってきて、

「走れ!」

と😱

マジで時間がない。

放送で名前も呼んでる。

てゆーかうちらのせいじゃないぞ?😨

そして、ほとんど出発時間と同時ってくらいに、なんとか機内に乗り込む。

これでやっとなんとか帰れる。

席に座って「ふぅ」としてると、

表から入ってきた他のスタッフに呼ばれる。

「スーツケースにパワーバンク(充電池)が入ってないか?」

えっと、

パワーバンクは預ける荷物じゃなくて、手荷物にしなきゃいかないのは知ってるよ。

というか、今、持ってるよ?

ん?😳

でも、どうしても自分の荷物だというので、一緒に荷物室へ行く。

もう出発時間は過ぎてるので、もちろん走って。

で、荷物を見せられるけど、自分のスーツケースじゃない。

とりあえず戻る。

そして一端戻ったら、やっぱり、とまた呼ばれる。

また走る。

何度確認しても同じだ。

それは自分のスーツケースなんかじゃない。

そんなこんなしてる間に、機内でも確認していたようだ。

自分らの他のメンバーが、「それってもしかしたら」と、気付く。

メンバーのひとりのスーツケースの特徴と一緒だった。

で、、、

ようするに係員のタグの付け間違えだ。

荷物室まで二往復の自分に、「お疲れさま」と冷たい水をくれるが、、、

勘弁してくれ😅😅😅

そして、だいぶ時間を遅れて、飛行機が飛び立つ。

いろいろ疲れ果ててたし、寝てる間に日本に到着。

いや~ほんと大変だった😓

でもまあ、なんとか無事にみんな日本に帰り着けてよかった。

無駄なお金はかかったけど、嫌な思いもしたけど、めっちゃ不安だったけど、

ある意味、いい経験とも言えるかもしれない。

帰国後、メンバーのひとりが言っていた。

「もうしばらく海外はいいや」

、、、

なにはともあれ、日本は平和だ。

この時はまだ空港でも、特別なチェックも検査もなく、ふつうに入国できた。

フィリピンのあの緊張感が嘘のようだ。

これでとりあえずひと安心、、

なんだけど、

最後にもうひとつ😅



メンバーのひとりの荷物が届かない😳



いやいや最後までトラブル続きだ😅

おそらく積み忘れだろう。

午後の臨時便に乗せられてくるんじゃないかと。



というわけで、一緒に待つ。

、、、

ちゃんと(と言っていいのか?)次の便に乗ってた。

まあ、こんなわやくちゃな感じだし、トラブルも多発してるのだろう。

対応してくれたスタッフも「最近よくあるの」って言っていた。



そして荷物を無事受け取って、

この混乱続きの旅もやっと終わる。

バスと電車で家路に着く。

まだ休業要請も出されていない日本は、まったくの通常通り。

コロナに対する意識の薄さはあいかわらずだったし、人々の間にも街にも信じられないくらい緊張感がなかった。



しかし、世界は急激にウィルスに支配されていく。



2020年3月21日。

あの日、新型コロナウィルスによるロックダウンで、突如封鎖されたフィリピン・セブ島を、自分らは脱出した。

そして、

日本が、フィリピンその他の国に対して、入国制限(PCR検査と14日間の外出自粛・経過観察)の措置を開始したのが、その一週間後3/28。

ギリギリのタイミングだった。

あの時、あの判断、緊急帰国を決断して本当によかった。

あの時点では、フィリピンのロックダウンの期限は一ヵ月(4月14日まで)となっていた。

だから甘く見ていて、結局ずっと帰国困難になった人も多くいるだろう。

事実、日本人観光客や短期語学留学生が多く滞在していたセブは、その後まもなく、大量の帰国困難者、いわゆる帰国難民の発生で、日本でも大きなニュースとなる。

現状は、未だにロックダウンが続いている。

もちろんフィリピンどころか、世界中がロックダウンの波にのまれていく。

新型コロナウィルス感染の猛威は信じられないほどのスピードで拡がり、世界を恐怖に陥れつつあった。



そして、

日本でも、時を経ずして、

緊急事態宣言へと事態は悪化していく、、、



《「ロックダウンからの脱出(Ⅵ)了。次回「同(その後)」へと続く。》


🌈ロックダウンからの脱出 PartⅠ~Ⅵ &「その後」

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自分は、国際協力NGO「HOPE~ハロハロオアシス」の代表を務めています。(詳しくは下記「自己紹介・NGO連絡先」リンクをご参照お願い致します。)
あ。「YUMEKAKE」というのは、NGOの活動のプロジェクト名(YUMEKAKE PROJECT)です。世界の子どもたちの、笑顔と希望と夢の架け橋になりたい、という意味です。

このブログでは、国際協力活動を通しての視点で、海外また国内の、様々な問題や出来事、スラムや難民キャンプの人々の生活、NGOの活動の様子等を、時に真面目に、深く、時にゆるく、書いていきたいと思います。そして少しでも、皆さまに、世界の様々な現実を知ってもらえるきっかけを届けたいと思っています。

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