YUMEKAKE/JOHN's diary

国際協力活動のなかでのマジメな話からゆる~い話まで/海外から日本から

「父」 ~天国の父の思い出と、心からの感謝をこめて、、

今週のお題「お父さん」

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父は自分が子どもの頃、亡くなりました。
癌でした。
自分はとても親不孝な息子でした。
父にとっては、どうしてこの子はわからないんだろう?といつも歯がゆい思いをする息子だったと思います。
父は強面でしたが、とてもシャイで不器用な人でした。

壁を作る息子に、それでも手探りで誠意をもってアプローチしてきてくれた、そんな父の気持ちが、今はとてもわかります。
父は最後までとても強い人でした。
自分に厳しく、だから余計に、息子の心の機微に触れるのが不器用だったのでしょう。
つい強く当たってしまったのでしょう。
ちゃらちゃら生きてる息子の情けなさが理解できなかったのでしょう。

父は戦災孤児でした。
父は本当の親の顔を知りません。
幼い妹と一緒に、親せきに引き取られたのですが、まあよくある話で、養父母に理不尽に厳しくされ、そこでとても辛い思いを味わい、いつも妹を守り、励ましあいながら、家の仕事を手伝いながら、育ちました。
それでもなんとか努力して、働きながら夜間の高専に通い、技術を身に着け、小さな下請け工場に就職しました、その頃に母と出会い、結婚し、貧乏ながらも頑張って働きました。その努力が実を結び、工場に仕事をくれていた本社に引き抜かれました。

自分が産まれたのはその頃でした。
ただ、まだ赤ん坊の頃に、すぐに本社のある地に引っ越してしまったので、まったく覚えていません。

なぜか記憶に残っているのが、大雪の中、真っ白な光景を、母に抱かれて眺めている自分です。

後に聞いてみたら、「そういえばそんな年があったかも」とのことでした。

そんなふうに厳しく育てられ、苦労し、努力を重ねた父は、やはり自分のことも厳しく育てました。
周りの友だちの家と違う厳しさに、自分は反発し、必要以上にろくでもない子どもでした。
小学校低学年の頃から、くだらない悪さでしょっちゅう通報されるような、そんなガキでした。

父の気持ちはどうにも息子には伝わらず、自分勝手な息子はまっとうな道を踏み外し、心はどんどん離れていく。
父は悩んだでしょう。
しかし不器用な父は、そんな息子に、強く当たることでしか、自分をわかってもらおうとする術を知らなかったのかもしれません。
自分は、そんな父を恐れ、避け、家ではまったく口を聞かず、しかし学校とかでは悪さを繰り返し目立っている。
本当にどうしようもないやつでした。

そんな父は、会社や友人の間では、自分に対してのように、厳しく怖いキャラではなかったようです。むしろ、学歴やコネではなく、技術と努力で部長とかになった父は周りから尊敬され、そして、フレンドリーで、みんなに好かれ、父が亡くなった後に、昔の者新とかを見せてもらって、会社の慰安旅行で女装とかしてるのを見て、そんな父の一面にびっくりしました。

お葬式にも、家の外に長い行列ができるくらい、弔問に来てくれ、お通夜とかも、父の思い出話でとても盛り上がっていました。

自分の知らない父のくだけた面に、びっくりしながら、でもこんなに皆から父が好かれ、また人望があったことが、とても嬉く、誇りに思ったのを覚えています。

もっと長生きしてくれたら、もっとわかりあえて、もっといろんなこと語りあえたのにな、、、父の昔の苦労話とか、今はめっちゃ聞きたいのにな、、、って今ではすごく後悔しています。

ごめんなさい。お父さん。

息子はあいかわらず、ろくでもないです。

というか、たぶん、お父さんの望んだ生き方をしていないとは思います。

でも、がんばっています。

子どもの頃は、ただの変人な息子だったかもしれませんが、今では、こんな生き方もあるんだって、きっと理解もしてもらえるんじゃないか、と思っています。

お父さんにとても厳しく育てられ、あの頃は反発しかしなかったけど、

でも、今はとても感謝しています。

厳しく育ててくれたおかげで、こんなにストイックで我慢強い大人になりました。

今のチャラチャラした世の中では生き辛いほどです😅

でも、自分に厳しくすることの大切さを、お父さんの生き方から学んだことは、今、本当に良かったと思っています。

本当に、

ありがとうございました。

今さら後悔しても遅いけど、

でも、お父さんの愛情をうまく受け止めることができなくてごめんなさい。

素直にできなくてごめんなさい。

学校や友だちの間では、いつもニコニコして、ゆるゆるのキャラだったのに、お父さんの前では、あんなふうにムスッとばかりしてる、偏屈なやつで本当にごめんなさい。

もっと楽しく一緒に、ふつうに過ごせたのになって、今、とても後悔して、残念に思っています。

でも、本当に、

ほんとうに、

ありがとうございました。

お母さんもいろいろあるけど、たくさん苦労して、今も病気をいっぱい抱えているけど、なんとかがんばって、日々の楽しみを見つけながら、生活しています。

自分はあいかわらず、親への接し方がよくわからず、不器用にしか思いやれないけど、ちゃんとずっと見守っていたいと思います。

兄キはなぜかずっと行方不明なんだけど、でも元気にやってると思います。
ほんと、ろくでもない息子たちでごめんなさい。

だから、お父さんも、天国から、自分らを見守っていて下さい。

そして、ろくでもない息子を許して下さいね😅

お父さんの期待通りではなかったとは思いますが、でも、がんばって生きてます。

それなりに、恥ずかしくない人生を送っています。

お父さんから学んだ、忍耐強く、乗り越えていく力を持ち、なんとかせいいっぱい生きています。

だから、いつか天国で再開したら、

笑顔で、ゆるゆるな感じで、迎えて下さい。

お酒で肝臓を壊して苦労したお父さんですが、息子はなぜかお酒が苦手です。

でも、お酒の席は大好きですので、そして(シラフで)バカやりますので、一緒に楽しみましょう😊

。。。

幼い頃の思い出のなか、

すごく記憶に残ってることがあります。

家族でどこかに出かけた際、母と兄は違うスーパーに寄り、父と自分は、二人で車で帰りました。

細かい事情はわかりませんが、父はたばこか何かを買いたかったのでしょう。

近所のスーパーに寄りました。

そこで、500円以上の買い物をしたら、カブトムシがもらえるっていうキャンペーンをやってて、

その頃はもう自分は親に対してわがままを言ったりすることもできないような距離感だったのですが、

でも、「ほしいなあ~」っていう顔してて、それを父も感じ取ったんだと思います。

「ほしいか?」と聞かれ、自分はぎこちなくうなずきました。

そしたら、父は、その時特に必要でもなかったものや、自分にお菓子とかを、ふだん自分だけでそういう買い物に出かけないから、だいぶあたふたしながら、なんとか500円分、買い物かごに入れて、レジに行きました。

で、清算です。

500円以上、、、

で、

なんだけど、何も出てきませんでした。

父がレジの人に聞きました。

「カブトムシは?」

レジのお姉さんが答えました。

「すみません、もう切れちゃって、」

、、、

父が申し訳なさそうに自分を見ました。

そして、

哀しそうに苦笑いしました。

その寂しそうな微笑みが、

その不器用な思いやりが、切ない表情が、

今もずっと、いつも、忘れられません、、、


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JOHNです。よろしくお願いします。

海外のことや日本のこと、世界の現実、経済や政治、ポエムまで、いろいろ書いてます😅
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自分は、国際協力NGO「HOPE~ハロハロオアシス」の代表を務めています。
(詳しくは下記「自己紹介・NGO連絡先」リンクをご参照お願い致します。)
あ。「YUMEKAKE」というのは、NGOの活動のプロジェクト名(YUMEKAKE PROJECT)です。世界の子どもたちの、笑顔と希望と夢の架け橋になりたい、という意味です。

このブログでは、国際協力活動を通しての視点で、海外また国内の、様々な問題や出来事、スラムや難民キャンプの人々の生活、NGOの活動の様子等を、時に真面目に、深く、時にゆるく、書いていきたいと思います。
そして少しでも、皆さまに、世界の様々な現実を知ってもらえるきっかけを届けたいと思っています。

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