【こんな時代でも夢を見ることはできる。未来はその手で変えられる(Ⅱ)】 ~ロックダウン下のフィリピンのスラム。彼女はあらためて自分の将来を見つめ直してみた~ (#スラムの少女が見る夢 #世界最長のロックダウン #ステイホームで改めて人生を見つめ直すということ #フィリピンセブ #国際協力NGO #SDGs)
【上記(Ⅰ)の続き】
。。。
「親に恩返しをするためにがんばって学校を卒業して、仕事に就いて、家族の生活を助けたい。」
貧民街、、、スラムで育った彼女は言う。
高校を卒業し、昨年度から経理の専門学校に入ったのだが、世の中はコロナ渦。
フィリピンでは、昨年3月からずっと、世界最長のロックダウンが続いている。
学校での授業はない(プリントやオンライン等の家庭学習)。
そんなわけで、昨年、カレッジ(専門学校)に入学した彼女も、まだ学校の授業は一度も受けていない。
また、今のコロナの感染状況だと、今年度もこのまま学校での対面授業は禁止のままかもしれない。(いちおう政府から、9月から学校での授業もOKに、なんていう話もこないだ出てはいたが、、、)
そんな状況の中、彼女もいろいろ考えたのだろう。
もしかしたらふつうに学校に通えていたら、こんなふうにあたらめて自分を見つめなすこともなかったのかもしれない。
自分の将来について。
「何か違う」
彼女は、家で勉強をしながら、自らが選んだコースに疑問を抱いた。
そして、こないだチャットしてた時、
彼女が相談してきた。
「ねえ、学校の専攻を変えようと思うんだ。」
自分が答える。
「うん。もし大丈夫なら、それもいいと思うよ。」
彼女が言う。
「あのね、今は経理の勉強をしてるんだけど、何か私に合わないような気がするの。」
「うん」
「それでね、学校の先生になろうと思うんだ。」
「うんうん。合ってると思うよ。」
「障害児のクラスの先生になりたい。」
。。。
彼女の父親は家でアクセサリー作成の下請けしている。土産物屋で売ってるやつだが、内職の単価はあり得ないほど安い。
母親は洗濯婦をしている。毎日、通いで手洗いでその家の洗濯をする。
そんなふうに彼女を育てた。
娘が3人いる。長女はもう働いている。次女は結婚して子どももいる。残念ながらその旦那は無職だ。彼女は3女。
スラムでの生活は厳しい。
母親がNGOのスラムの子どもの施設(保育園)をボランティアで手伝ってくれていたので、彼女もいつも施設に来ていて、まだ幼いころから知ってる。施設の子どもの世話や仕事とかもよく手伝ってくれた。
自分はずっと彼女のいいお兄ちゃんだった。
だから、、
彼女には、その夢を叶えてほしいし、幸せになってほしい。
かといって、この生活、スラムでの苦しい環境から、貧困から抜け出せるかどうか、といったらそれはわからない。
いや、おそらく、もし彼女が学校の先生になったとしても、劇的にその生活が変わることはないだろう。
家族も養っていかなきゃだし、それほど給料の貰える仕事でもないし。
きっとこのスラムで、いつか結婚して、そして他の皆と同じように、たくさんの子どもを産み育てるんだと思う。
。。。
彼女との会話が続く。
「どうしてそう思ったん?」
「うん、、、今ね、ロックダウンで学校がずっとないでしょ?
子どもたちもみんなモジュール(学校から渡される宿題プリントが授業の代わり)を家でしてるんだけど、でも、ぜんぜん勉強がわからない子がたくさんいるの。
それでね、時間があるときに、近所の子どもたちに、勉強を教えてあげてるんだ。」
「へえ~、、えらいね😊」
「ありがとう😊
それで、、中には本当に勉強がわからない子もいて、、、たぶん知的障害を持ってるんだと思う。
ただ、みんな貧乏でしょ?
病院に行けるわけでもないし、そういう子がここで生きてくのはとても大変なの。
でもね、その子も一生懸命がんばってる。
できれば、私は、そういうハンデを持った子どもたちの世話をしたいんだ、、、」
「うん、、、わかった、、、
応援するよ😊」
ほんとに応援する。
きっとその夢を叶えてほしい。
。。。
そして、思う。
なんとなくだけど。
彼女が学校を卒業して、何らかの仕事に就けるとして。
もしもそうなったとしても、
彼女の家族がこのスラムの厳しい環境から抜け出せるかどうかはわからない。
いや、
なんか、思うんだ。
それでも、彼女はここで暮らし続けると思う。
自分の意志で。
だってここは、このスラムは、
どうしようもなく生きてくのが大変な環境だけど、
でも、彼女の故郷であり、生まれ育った場所なんだから。
ここで、たくさんの人と出会い、たくさんの思い出を作ってきた。
だからきっと、
彼女は、ここから出ていくことはないような気がする。
そして、
貧困に苦しみながら、ここでずっと生き抜いて、過酷な現実を目の当たりにしてきた彼女は、
このスラムで困難な生活を送る人々のために、子どもたちのために、何か自分ができたらいいな、って思ってくれたんだと思う。
彼女がまだ小学校低学年の頃から、自分らとずっと一緒にいて、NGOの支援活動を身近に見てきて、時には参加してくれて、いつのまにか彼女ももうすぐ20歳になる。
自分の勝手な思い込みだけど、、、
彼女が、自分らの活動とずっと身近に接してきたことが、少しでも彼女の今のそんな考えに影響を与えてたとしたら、なんか嬉しいなって思う。
なにはともあれ、
がんばってほしい。
夢をきっと叶えてほしい。
心からそう思う、、、
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【学校では教われないことがある】 ~文明が発達して世の中が便利になると共に、人の心は貧しくなっていくものなのか、、 (#新型コロナウィルスによる世界最長のロックダウンが続くフィリピンの学校の現状 #フィリピンの夏休みは4月と5月 #北半球と南半球の四季 #モジュールクラスとオンラインクラス #貧富の差による教育格差)
「学校では教われないことがある」
それがこの写真に付いたキャプションだ。
というか言い換えてもいいなら、「学校の授業では」かな?
※※ ※※ ※※ ※※
世界最長のロックダウンが続くフィリピン。
学校の対面授業も、昨年の3月からずっと中止。
モジュール(現状は結局、宿題プリント)もしくはオンラインで授業が行われ、自分がNGOで支援している貧困層の子どもたちは、インターネット環境がないので、みんな家でプリントをやってる。
今はお休み。夏休み。
本来、フィリピンの学校の長期休暇は、4~5月なのだが、コロナにより授業(宿題だけど)開始が遅れたので、学期もずれ込んだ。
ようするにフィリピンの場合、今は、例年と「時期のズレた」夏休みというわけ。
ちなみに、その例年の夏休みの4~5月がフィリピンのいちばん暑い時期で、ようするに、だから「夏休み」だ。
概念上のことではなく、ちゃんとサマーホリデーって言われてる。
よく「日本の夏はオーストラリアの冬」みたいな言い方をするけど、そう言ってしまうと、まるで、オーストラリア(いわゆる南半球)の夏は寒いの?みたいな感じになっちゃうけど、そもそもオーストラリアの夏は12~2月だ。だからほんとは、言うなら「8月は日本では夏だけどオーストラリアでは冬」ってこと。
なわけで、フィリピンの夏は、この4~6月。といっても四季というものはなく、雨季と乾季っていう区分けはあるけど、とりあえず1年中熱いので、ようするこの時期が「特に暑い」というわけだ。(他も暑いけど!🤣)
話を戻して、そんないつもの夏休みが、今年はコロナの影響で時期がずれて、今が長期休暇(学年替わりのお休みなので、日本でいったら春休み?それがフィリピンでは通常では夏休み。ああ、こう書いてるとまたなんか紛らわしくなってくる😅)になってて、地域や学校によって差はあるけど、そろそろ授業が始まる。
授業といっても、とりあえずは引き続き、家庭学習(モジュール)。
ちょい前に「9月からは学校での授業を再開」っていう発表もあったけど、コロナ(デルタ株等の変異株)の感染拡大によって、また規制が厳しくなってる状態の今、それが実行されるかどうかわからない。
というか、9月から始まる公立学校の高校生に聞いたら、「まだモジュールみたいよ」って言ってる。
なにもかも行き当たりばったり感があるフィリピン(まあ、コロナ対策に関しての行き当たりばったり感はフィリピンだけじゃないけど)では、しょうじき、直前にならないとほんとにわからない。
ずっと続くこんな状態。
オンライン授業が受けられる富裕層と、宿題プリントを自力でやる貧困層の間の、教育格差は広がる一方だ。
そんな学力の問題もあるが、、、
学校生活で学ぶものは、言うまでもなく「教科のお勉強」だけではない。
友だちや先生との交流や学校行事、課外活動、様々な学校生活における場面から、人間性や社会性が育っていく。
まあ、逆効果になる場合もあるが😳
フィリピンは、大家族で、家族や地域の結びつきが強く、また、高齢者を敬う文化も根付いてる。その中からいろんなことを学ぶ。そして、特に貧困層は、その厳しい生活環境から、「ただ生きてるだけ」で、生きるために必要なことを、否応もなく学んでいくので、少なくとも日本とかよりは、いわゆる「学校の授業では教えてくれないこと」、、、そう、生きる力や人として大切なこと、を、ふだんの日常生活の中で学んでいく。(ただ、公衆道徳性にはちと欠ける😅)
が、そんなフィリピンでも、やはり文化は発展し、子どもたちの様子も変わっていっている。
スマホやゲームに依存しがちなのは日本と変わらない。
日本から見たら、未だ、「日本人が、世の中の便利さや文明の発達と引き換えに失ってしまいかけてる人としての大切な何か」が、ここにはまだある。
それはそう思うのだが、やはり、そういう先進国と同じ方向へと変わっていくのは止められない。
なんせアマゾンの部族がスマホを持つ時代だ。
世の中が便利になっていくとともに、悲しいけど、人の心は荒廃していく。
富を得るとともに、心は貧しくなっていく。
写真は、フィリピンのSNSにシェアされてたもの。
路上で物乞いをするおばあさんに、制服姿の女子学生が中指を立てている。
キャプションにはこうある。
「学校では教われないことがある」
学校では教えてくれないもの。
授業ではやらないけど、でも、学校生活の中で学んでいくものはたくさんある。
集団生活や校則によるストレスだって、人が成長していくために、必要な要素なのじゃないだろーか。
ネガティブなことからだって、何かしら得るものがある。
家庭生活とは違う刺激の中から学ぶことがある。
まあ、学校がないならべつにいいけど、あったらあったで学ぶことはあるし、学校がなくなったら、その代わりの何かがまた必要になるよね。
その役割を家庭や地域が担えるならいいけど、少なくとも日本はできてないし、フィリピンだって、ずっと今までのようにはいかないだろう。
事実、「昔はよかった」「文明の発達と人の心の豊かさは反比例」的な見方は、もうすでにこの国にもある。
少なくとも、学校で学ぶことだってあるにはあるだろう。
授業では教えてくれなくても。
そういう場として、学校の存在価値はやっぱりあるのだと思う。
人とのふれあいの中から学ぶもの。
ネット社会の今は必要ない?
学校に行くよりも、学べるものはたくさんある。
それもそうかもしれない。
けど、、、どうなんだろ?
まあ、学校教育の質もあるし、一概には言えないか。
とりあえず、、
家庭で、地域で、学校で、子どもの人間性を育てる環境を整えるのは、大人の役割だと思うし、
となると、ホームレスに中指立てるメンタリティーの元凶はうちら大人ってわけだ。
くだらねーことばっかやってないで、
がんばろーぜ、おとな😅
でもって、子どもたち、
学校の授業がずっとなくて、たくさんの友だちと会えなくて、家での宿題で、みんなストレスがたまってるし、学校再開を待ち望んでるし、んで、なんだかんだいっても今のところ学校生活ってやっぱ必要だと思うし、今までと違う形でもいいから、
早くこのパンデミックが収まって、学校の授業が始まるといいよね。
そりゃあ、学校では教えてくれないこともたくさん。
というか、こういう人としての道徳みたいなものとか、思いやりとか、学校というよりも、本来、家庭やコミュニティの中で学んでいくもののような気がする。けど、
でも、学校だから学べる大切なことだってきっとあるし、
なにはともあれ、また毎日友だちと一緒に学校で楽しく過ごしたいよね、、😇
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【これが医療崩壊の現実です】 ~病院の外で酸素吸入を受ける多くの人々。新型コロナウィルス、世界の今、そこにある現実。ワクチンの是非や経済の問題もあるし、オリンピックもやってる。でも、路上飲みとかしてる場合なん? (#オリンピックは関係ない #フィリピンミンダナオカガヤンデオロ #ワクチン接種拒否は投獄か国外追放 #ワクチンを打っても感染はする #ワクチン接種で重症化は防げる? #3回目のワクチン接種)
新型コロナウィルスのパンデミックにより、世界最長のロックダウンが続くフィリピン。
この動画は、ハードロックダウン(ECQ)になっているカガヤン・デ・オロ(フィリピン・ミンダナオ島)というフィリピンの地方都市の、今現在、の様子です。
すでに医療崩壊が起き、病床は感染者であふれ、多くの患者が、、、重症者でさえ、病院の建物の外で酸素吸入や点滴を受けています。
これが、世界の現実です。
フィリピンでは、日本同様、なかなかワクチン接種が進みません。 供給不足もあるのですが、副反応への恐怖や陰謀論の危惧等で、ワクチン接種を拒む人が多くいます。 このような状況にフィリピン・ドゥテルテ大統領は、「ワクチンを打たないと投獄だ。国を出ていけ。」と発言したりしています。
また、一部地域では、すでにワクチンパスポートによる制限が発令されています。ワクチン証明書がないと、市場にもスーパーにもコンビニにも入れない、というものです。
現在、欧米諸国ではワクチン接種による重症化率の低下で、制限撤廃へと出口戦略が進んでいますが、そもそもワクチン接種率の低い日本やフィリピン(などの途上国)等では、そういう試行錯誤を始めることもできず、緊急事態宣言だのロックダウンだの、目先の対策を繰り返すだけです。
そのワクチンですが、海外との往来のために、否応もなく自分は打ちますが、現時点では人体実験レベルのワクチンであることも事実です。 また、デルタ株に対しては、感染抑止の意味はあまりないようです。重症化を防ぐ効果はそれなりにあるようですが。ただ、とにもかくにもワクチンを打ったからといって、感染はするのです。それを忘れてはなりません。
接種後の抗体減少のスピードが予想以上のため、欧米を中心に、三回目のワクチン接種に動いている(イスラエルでは始まってる)国もあります。そのような国もあれば、途上国ではワクチンの供給不足が問題になり、フィリピンのようにまだ接種率が一桁の国もあります。
明らかに不公平ですが、それもまた民主主義による競争社会なのでしょうか?
それもまた、今のこの、歪んだ世界の現実です。
そして、
なんというか、、 今、このように、世界でワクチンがクローズアップされていますが、実はそれよりも、人々の日常的な行動への意識の方が問題なのだと思います。
経済を回していくことは必要ですし、飲食や観光もなんとかしなきゃなりません。オリンピックもやってます。
でも、少なくとも「路上飲み」とかしてる場合じゃないことは確かです。
それは、各々の意識の問題です。
自分の、家族の、地域の、日本の、そして世界の安心を安全のために、ひとりひとりが考え、今自分にできることをしなければならないのです。
今、この危機に陥った世界を救うのは、WHOでもワクチンでもなく、私たちひとりひとりの意識と行動です。
いろいろありますが、なにはともあれ、フィリピンも日本も、また世界各地で、「またこれから」試練が始まります。
じゅうぶんに気を付けて日々をお過ごし下さい。
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【壊れてしまった彼女の心に寄り添うために】 ~これもまたコロナと貧困が作り出した悲しい現実なのか、、、 (#レイプと中絶とカトリック #精神障害には周りの支えが必要 #障害者を支援するのではなく世間から隠してしまう)
「ねえ、彼女のこと知ってるの?」
NGOの現地事務所のあるフィリピン・セブの友人からメールが来た。
友人(マリアン・仮)が言うには、その「彼女」(メアリー・同仮)は、高校の同級生で、今は、双極性障害に苦しんでおり、ずっと連絡もとれていないのだという。
どちらも、自分と何人かの共通のfacebook友達がいて、その繋がりから、facebookで知り合い、マリアンとはけっこう頻繁にチャットをしたりしてる。また、メアリーとは、前に、一度、短いチャットをした。
それだけの、まあいわゆるSNS上の知り合いなのだが、少しでもチャットをしたことがあることもあり、誕生日に、彼女のタイムラインにバースデイメッセージを書き込んだ。
それを見て、マリアンが自分に聞いてきた。「メアリーと友達?」って。
「前に少しチャットしただけだから、友達っていうほどでもないかな」「どうして?」
と返すと、マリアンから動画が送られてきた。
公共の市場で、両腕に刺青を入れた、半裸の女性が奇声をあげ、周囲の人や野良犬に絡んでる。そして、しばらくして周りの人に取り押さえられて暴れ、ついには気を失ってぐったりしている、、、
それがメアリーだという。
その動画は、担任の先生がたまたま市場で見かけたメアリーの様子を撮って、卒業後も残っていたクラスメイトのグループチャットにアップした。「このあいだこんなのを見たんだけど、誰か、メアリーが最近どうしてるか知ってるかい?」と心配して。
そして、これが彼女の簡単なストーリーだ。
。。。
高校3年生の時、マリアンとメアリーは、クラスの役員を一緒にしていて、とても仲良しだった。
動画にあるような奇声を発して暴れる彼女は、その時からは想像できず、高校の頃のメアリーは、とても大人しく、また、少しナイーブで考えすぎてしまう子であったものの、歌がとてもうまく、facebookにカラオケをアップしてたりもした。
動画では彼女の腕にあった雑な刺青も、もちろんなかった。
2020年の春、みんなで卒業した。
メアリーのfacebookにも、クラスメイトと一緒の彼女のたくさんの笑顔がアップされてる。
しかし、世の中はコロナ渦、フィリピンはロックダウンの真っ最中だった。
家が貧しいメアリーは、大学等の上の学校に進学はできなかった。また、ロックダウンの中、仕事を見つけるのも困難だった。
そんな中、そこにどういう経緯があったのかはわからないが、コロナ渦で殺伐とした世の中、荒んだ人の心がそうしたのだろうか、、、メアリーは路上でレイプされ、赤ちゃんを身ごもった。
しかし彼女はくじけなかった。
また、敬虔なカトリックである彼女や家族には、中絶という選択肢も考えられなかったのだろう。
まったく誰の子かわからないその子に希望をたくし、家族の支えもあって、無事、元気な男の子を出産した。
「私の夢と希望」
彼女のfacebookには、何枚もの幸せそうな、赤ちゃんとの写真があった。
本当に幸せそうな、彼女の笑顔が、、、。
しかし、それは、
数週後に、異なったキャプションと共に、思い出として、二人の写真がまたアップされていた。
「I miss you my baby, my happiness」
寂しいよ、私の赤ちゃん、私の幸せ、、、
そう、産まれて数週間後に子どもは天に召された。
たくさんの幸せな思い出と希望とともに、、、
貧困で生活は大変だけど、思うようにならない人生だけど、
産まれてきてくれたその子がいれば、そこに笑顔と幸せがあふれた。
でも、ほんの数週間で、すべてが壊れた。
そして、同時に、彼女自身の心も、
壊れた。
貧困、コロナ、ロックダウン、レイプ、出産、、、
赤ちゃんが亡くなったのは今年の2月。
市場での彼女の奇行の動画が送られてきたのも、そのすぐ後の2月だった。
。。。
壊れてしまった彼女と直接連絡をとってるクラスメイトはいないらしい。
マリアンは言う。
「メアリーのケアなんて誰もしてないわ。ただ家に閉じ込められてるだけ。」
彼女は家に閉じ込められて、ガリガリにやせ細り、時に狂気に陥り、家族に守られながら、いや、世間から隠されながら生きてるのだと。
障害を持った子どもを、何とか社会に適応させたり、治療しようと努力すのるではなく、世間から隠し、閉じ込めてしまうということは、ひと昔前の日本でもよくあったこと。
また、途上国の町に思ったより障害児が見当たらないのは、家族が家に閉じ込めてしまったり、障害のある赤ちゃんが産まれてくると、そういう施設の前に捨て置いてしまったりする。お金のない親が障害を持った子どもを育てる能力も知識も、病院に連れていくこともできないから。NGOで提携してる障害児施設でも、何人かは、門の前に置いて行かれた子どもだという。
話を戻そう。
家に閉じ込められて、壊れた心と辛い思い出と現実に苦しみながら日々を送るメアリー。
そんな彼女は自分の携帯は持っていないが、状態が落ち着いている時とか、時々、姉妹の携帯を借りて、ネットを見たりもするのだろう。
たぶん、そういう時に、自分とfacebookで友達になった。
それが今年の5月。
彼女から「Hi」とメッセージが来て、少しチャットして、「ねえ、今、退屈だから、写真送って」と言われて、自分の写真を送った。ふつうに仲良くなろうと思って、相手にも写真送ってと言うと、彼女も送ってくれた。
おそらく高校時代の、、、
笑顔の彼女だった。
その時だけ、ほんの少ししか話してないし、また、このあいだ投稿した誕生日のメッセージにも反応はない。
。。。
荒んだ世の中にその運命をもてあそばれたメアリー。
もちろん、同じような話は、フィリピンや途上国だけでなく、それこそ日本にだってあると思う。
それは、いずれの場所でも、場合でも、大きな社会問題だ。
そして、
彼女の心を壊してしまったのはいったい何なのだろう。
フィリピンの治安、宗教、新型コロナウィルス、ロックダウン、荒廃した世の中と人々の心、貧困、医療体制、、、
はっきりとした何かはわからないし、逆に、そのすべてが、要因なのだろう。
マリアンと話した。
「彼女に今必要なことは、家族や親しい友達の思いやりや、何気ないおしゃべりなんだと思うよ。」
マリアンは言う。
「私もそう思う。でも、メッセージを送っても、返事が来ないの。既読にはなってるのよ。」
「(障害で)きっともう私のこと忘れちゃったんだと思う。」
「でも、高校の時の私たち、とても仲良しだったの。それに、彼女はいつも笑顔で優しくて、きれいで、とても魅力的な子だったわ、、、」
うん、、、
今のこんな悲しく重い現実に、ちょっとチャットしただけの自分が、彼女のために、何かしてあげられるとか、そういうわけではないだろう。
わかってる。
でも、あの日少しだけ、確かに、「ふつう」に会話した。
あの日だけだけど。
何気ない会話の積み重ねが、彼女の心を癒して、何かが変わるかもしれない。
あの時は、彼女のそういう事情を知らなかったし、深夜(そういえば、確か深夜の2時とかだった。家族が寝てから携帯を勝手に使ったのかな?だからそれ以来また禁止されて、ログインしてないのかな、、、)だったから、こっちも眠くて、すぐに会話が終わっちゃったけど、もっといろいろ話せばよかったな、って、今、後悔してる。
そして、昨日、
それ以来途絶えた彼女とのメッセンジャー(チャット)に、メッセージを送ってみた。
「Hello😊」
と。
何事もなかったように、軽い感じで。
今日、まだ既読にはなってない。
でも、いつか、返事をくれるといいな。
嘘でも妄想でも思い出でも何でもいい。
楽しい話をしよう。
いくつかの話をしながら、もしも自分のことを信頼してくれたら、彼女のストーリーを話してくれたら、ちゃんとぜんぶ受け止めるよ。
そして、
いつか、、、マリアンと三人で、会えたらいいね、、、
。。。
彼女のfacebookのトップ画面は、今でも、笑顔で赤ちゃんを抱いた写真のまま。
でも、そこにはこう書いてある。
I miss you my angel
...